杯戸四丁目の外れにある山田の自宅付近に、白のスポーツカーが静かに停車した。そこから出てきた二人が目的の建物へと近付いていく。七階建ての建物はアパートとマンションの中間といったところで、こちらも見たところ築年数がそれなりに経っているように思われた。ロビーの入り口にセキュリティらしいセキュリティは特に見当たらず、二人はすんなりと屋内への侵入に成功する。人と出くわさないようにと非常階段で山田の部屋がある四階まで上ると、先ほどと同じように二人は手袋を嵌めて準備にかかった。が周囲に視線を配る横で、降谷がピッキングを開始しようとしたその刹那、彼の携帯のバイブレーションが震え始めた。そのため彼が応答している間に、彼女は彼から工具を受け取り、しゃがんで鍵穴と対峙する。円筒錠と違ってレバー型のそれは彼女にとってはやりやすかったらしく、彼までとはいかずも鍵は素早く開錠されていった。電話が終わる頃には彼女はすっかり仕事を終えていて、降谷が携帯をしまい振り返ると同時に「どうぞ」とドアを開けた。

「職を失ったら二人でセキュリティ会社でも立ち上げるか」
「ふふ、それも楽しそうですね」
「言質取っ・・・うわ、こっちは打って変わって乱雑だな・・・」
「足の踏み場を探すほうが大変ですね・・・」

玄関からして既にめちゃくちゃだ。靴が何足も不揃いに転がっていて、泥の跳ねた跡が方々にある。仕事用なのだろうか革靴は綺麗なままだが、それ以外のスニーカーは殆ど踵が踏まれた状態だ。居間へと伸びる廊下には、もはや使用済みなのかそうでないのか判断の付かない皺だらけの服が散らかっている。キッチンには何日も洗われていなさそうな食器が無造作に重ねられ、空になった清涼飲料水のペットボトルが何本もゴミ袋に詰められていた。おまけにコンロの近くには灰と吸殻で一杯になった灰皿が二つも置かれている。

「う〜んきたない」
「一人暮らしの独身男性の域は確実に超えているな・・・」
「あの清潔感のある顔がここから生まれているとは・・・考えられないですね」
「全くだ」

顔写真から漂う清潔さからは想像もつかない室内の汚れ具合に引き気味の二人が、さらに奥へと足を進める。居間に置かれたテーブルには空になったコンビニ弁当の容器がいくつも乗っていて、そこはかとなく立ち上る生ごみのいやな匂いを避けながら、これまた雑多なデスク周りの捜査に取り掛かった。
ノートパソコンの画面を開くと、無用心にもただのスリープ状態だったために、使用履歴をすぐに目にすることができた。一見怪しいものは見当たらず、パソコンだけに時間を取られるわけにはいかないと降谷はUSBを差し込み、全データのコピーにかかる。デスクトップに並んだフォルダの数は少なかったが、その一つ一つはかなり重たいようで画面の中央にはコピーの完了まで残り二十五分と表示されていた。さてその間に他を捜索しようと二人がそれぞれに行動を始める。居間のあらゆる場所を注意深く凝らしてみるが、特に不審な点は見当たらない。まだ覗いていない部屋の扉を降谷が開けようとした時、バルコニーに回ったから、「降谷さん」と声が上がった。急いで彼もそちらに向かう。陽の差すそこには、クーラーボックスの蓋を開けた彼女が神妙な面持ちで立っていたのだった。

「・・・完全アウトですね」
「これだけの証拠を警察が見逃したとは思えん、やはり昨日山田はこれを取りにあの部屋に行ったようだな」

いくつもの密閉袋に入った黒い粉と、フォークに使い古された釘に小鉄球、組み立て以前の信管にケーブルにタイマーと不穏な匂いのしないものはないといったぐらいに、危険物ばかりが中には入っている。ボックスを持ち上げると辺りの埃が寄った形跡があり、それはこのボックスが近日中に持ち運ばれたことを意味していた。調べればセーフハウスの圧力鍋から出てきた粉と、この粉が一致することは明らかだろう。降谷はチャック付きの小袋に粉を少量落とすとすっくと立ち上がる。
ボックスの中身を写真に収めて、キッチンへと向かった二人がコンロ下の戸棚を開けると、そこには数種類の圧力鍋がしまわれていた。どれも種類が違うことから、料理好きなら説明の一つや二つもつくだろうが、このキッチンの環境からして山田が頻繁に料理をしている様子はない。この量の圧力鍋は明らかに異常だった。

「勤務先が家電量販店だから圧力鍋は集めやすかったんでしょうね」
「これだけ物的証拠があれば風見たちは大喜びだろうな」
「爆薬の入手はどこからでしょう、木炭と硫黄は難しくないとしても、硝酸カリウムは・・・」
、ここから先は俺たちの出る幕じゃない。俺たちは俺たちの仕事をするぞ」
「そうですね、すみません」

あくまで二人の仕事は山田の拳銃所持の有無と入手経路を探るだけで、それ以上は風見と公安の領分。今考えるべきは他のことだと降谷はを諭す。

「山田も当然拳銃を持っていると思ったが・・・出てこないな」

逮捕された男と山田の関連が濃厚になった以上、護身のためか殺傷のためかは分からずとも、彼も拳銃を所持していて当然と降谷は踏んでいた。だが部屋から出てきたのは爆弾を作るために必要な材料のみ。となると肌身離さず山田自身が持っているという可能性もある。警視庁による家宅捜索が終わったとはいえ、あれだけの物騒なものを隠していたらば、警戒のために所持するのが大概だ。

「山田が今も所持しているのかもしれませんね」
「となると少し厄介だな。ここが終わったら奴の張り込みに加勢するか」
「はい。あとは・・・あの奥の部屋だけですね」

残すは寝室と思しき閉ざされた部屋のみ。「行くぞ」と前を歩く降谷の後をが追おうとしたその時、彼女の携帯から着信を知らせる音が鳴った。画面を見ると風見からで、すぐさま応答すると何か緊急事態でも起きたのか、その声には焦りが生じている。彼女は降谷にも聞こえるようにとスピーカーをオンにして、注意深くその声を拾った。

『山田が仕事を早引きして今自宅に向かっています。職員に扮した部下が言うには体調不良とのことでしたが、別地点にいた者の話では颯爽と自転車に乗っていってしまったと。今朝は徒歩だったので職場に自転車を置いていたものかと。十分か十五分後にはそちらに着きます。我々も今車で向かっていますが、そちらの進捗情報は?』
「ふむ、鼻が利くんだか運が良いんだか・・・」
「拳銃の入手データに関してはまだ掴めていないですからね、できれば残りの部屋も見ておきたいですが・・・降谷さんどのぐらい時間があればいけますか?」

降谷は顎に手を当てて、データをコピー中のパソコンの画面を一瞥した。そこに表示されていた時間は残り十分。部屋は残り一つだけなので十分もあれば捜索は終わるが、もしあと十分で山田に戻ってこられては後始末が間に合わない。危険物所持もしくはテロの疑いとしての証拠は十分に揃っているため、資料を送れば今から一、二時間で逮捕令状を発布してもらえるだろう。となれば夜までには山田は逮捕されるはずだ。それまでに何か重要な証拠を消されるのも困るし、その後警視庁の人間が捜査に入ることを考えれば、別日に続きを行いたくはない、というよりも行っても無意味だろう。だからその前に部屋を調べておきたいのが本音だった。

「データのコピーに最低でもあと十分はかかる。後始末も合わせて今からあと十五分ほどあれば事足りるだろう」
「十五分・・・山田が今職場を出たなら、どこかで十分ぐらい足止めできれば良いわけですよね、時間を稼いでくるので降谷さんはここをお願いします」
さん?時間を稼ぐって一体何を・・・』
「いけるのか?」
「任せてください。これが不法侵入なのは重々承知ですが、失敗したらその時はいちゃもんつけて、公務執行妨害で逮捕しましょう」
「お前な・・・、無茶はするなよ」
「はい、あとでちゃんと拾いに来て下さいね」




*



(「迎えに」ではなく「拾いに」なのがまたなんとも)

彼女の言葉は男心を擽るというか、ああ言われてしまったならばなんとか事を上手く運んでやろう、という気にもなるのだから不思議だ、と風見は先ほどの電話の内容を思い出しながら車で先回りし、指定された場所にて待機していた。山田の自宅から大通り一歩手前の小さな通りまではT字型の道の形になっている。つまり出勤しようが帰宅しようが必ず曲がらなければならない角がそこにあるのだ。しかもそこにはカーブミラーが設置されていないという。そこで彼女は言った。ぶつかりに行きます、と。最低限の人員で張り込みをしていたので、彼女がこちらの助っ人に回ってくれたのは正直助かるところではあるが、だからといってそんな少女漫画みたいな、と風見は思った。しかも相手は徒歩ではなく自転車だ。下手したら大怪我になりかねない。しかしたかだか十分で精巧な足止め作戦が練れるだけの用具が揃っている訳もなく、来ると分かっていればそれなりに予測して動けるという彼女の言葉を信じ、それを実行することに決めた。ただその代わり自転車と衝突するのは我々男にやらせてくれないか、と提案してみたところ、確かめたいことがあるからと断られてしまった。それもこちらで確認するからと食い下がってみたが、自転車対歩行者でただでさえ罪悪感がつのるところに、異性が衝突することで殊更それが増すからと言い返されてしまったのだった。

(意外と頑固なところがある)

物腰穏やかでふわふわしているくせに、引かないところは引かないその性格。本当に怪我を負わなければいいがとそればかりが心配で(なにしろ降谷はどう足止めをするのか知らないのだから)、風見はどうにもそわそわしてしまう。彼女の指示通りに、彼女がいる通りに部下を一人、そして少し離れたところに、車に積んでいた折りたたみ自転車に跨って待機する部下を一人配置した。彼女の傍にいる部下は、曲がり角の入り口にて電話をしている体にすることで、山田の視界に入り彼の曲がるコースを確定させる役割だ。大きな弧を描きながら曲がることができないために、減速せざるを得ないという目論みである。自転車と共に離れたところで待機する部下は、自らによって、時が来たら自分と山田のいる曲がり角すれすれを猛スピードで走り去ってほしいと指示を受けていた。僅かな時間だったため風見はその意図を聞きそびれてしまったが、そのタイミングはが髪の毛を耳に掛けた時だという。

(・・・来た!)

時間にしてそろそろ山田が現れるだろうと辺りに注意を凝らしたその時、視界の隅に彼が入ったのを確認した。そこで予め呼び出しておいたの番号に一コールのみ合図を送る。無茶はしないでくれよ、と願いながら。

(ん、風見さんから来た)

曲がり角の手前で待機していたが携帯の揺れに気が付く。最終的な合図は、同じく通りの入り口に立って電話をかけるふりをしている仲間が、男が来る方とは反対側に消える時だ。それも見止めると彼女は小走りで通りへと駆けていく。その手には、途中コンビニで適当に買い込んだ物が入っている袋が提がっていた。

「っきゃあ!」
「うわあっ!」

耳を劈くようなブレーキ音が響く中、は前かごに手の平が当たるように受身の体勢を取った。体への衝撃を緩めながら、山田がバランスを崩し転びそうになったのを良いことに、飛ばされると同時にタイヤに足をかける。すると見事に大きな音を立てて自転車がひっくり返った。通りの入り口に背を向けるようにして彼女が倒れ、その手前に山田が倒れこむ。カラカラとタイヤが空回りする横で、二人は「いててて」とそれぞれに打ってしまったところを摩っている。意識がはっきりしてきたところでハっと目を見開いた山田が、の肩をたたき上体を起こしにかかった。

「ご、ごめんなさい大丈夫ですか!?」
「・・・っは、い」

実際は大した痛みもないだったが、ここから先が本番だ、と時間を稼ぐために苦しそうな声を上げる。コンビニで買ったばかりの菓子袋が破れて、中身が散らばっていくのが空腹には非常に堪えたところだが、彼の家で必死に捜査を続ける降谷のためを思えばなんてことはない。とにかく十分時間を稼げば、彼は車に乗って反対側の国道へと出て行ける。それだけが彼女を突き動かしていた。

「すみませんほんとに・・・ああなんてことを・・・」
「わ、わたしこそ・・・左右確認もせずに飛び出してしまって・・・すみません」
「お怪我は・・・?」
「なんとか・・・大丈夫です、あなたは?」

事前の情報から、山田の性格ならば自分を放って消えたりはしないだろうという確信がにはあった。近所から評判が良いとくればなおさらだ。それになにより彼は爆発騒ぎを起こそうとしている。そんな人間が、言ってしまえば事故であるこの状況に対し、警察を介入させるわけにはいかないと必死になるのは必然だろう。

「僕は大丈夫です、でも袋の中身が・・・」
「気にしないでください、また買えば良いだけの話ですから。あなたに怪我が無くて良かったです」
「ここカーブミラー無いですからね、普段は気をつけてるつもりなんですが、ほんとうっかりしてました」
「私も信号が変わりそうだったのでつい走っちゃって・・・」

本気で心配している節もあり、の中の罪悪感がグサグサと刺激されたが、今しがたの信号が変わりそうだという発言から、彼の表情に急に虚脱が浮かんだのを見逃さなかった。怪我は無いかの確認時にそれが出るならまだしも、今のタイミングにおいては、自分に一定以上の過失がないことへの安堵を表しているのは明らかだ。もちろん誰だって事故を起こしたとなれば、どれだけの過失があるかを気にするのは当然だが、胸を撫で下ろすには彼の場合いささか早すぎる。

「立てそうですか?」
「あ・・・はい」
「さ、手に捕まって」

山田が右手を伸ばしてきたタイミングで、は大通りに停車している風見に見えるように、崩れてしまった髪の毛を耳にかけた。それを視認した風見が部下にまたコールを送ると、自転車で待機していた部下が猛スピードで通りを駆け出し始める。「すみません」と彼女からも伸ばされた手を山田は取って立ち上がらせると、自分の視界の奥にふと、尋常な速さで向かってくる自転車を見止めた。自分の方を向いている彼女はその存在に気付いていない。このままあの速さでこられてはぶつかられてしまう、と彼は慌てて彼女の肩を抱きこんで曲がり角の奥へと飛び込もうとする。そのギリギリを自転車が駆けていくと、様子を見ていた風見は目をぎょっと開いて窓枠に身を乗り出した。

「危ない!!!」
「えっ、あ・・・ッ」

圧し掛かる山田の体重に合わせ、は待ってましたとばかりに足から崩れるようにして体勢を落としていく。その際に山田の上着の左襟をぎゅっと引き掴んだ。

(拳銃あり)

咄嗟に伸ばされた手が彼の利き手ならば、拳銃は反対側の胸ポケットに違いない。その手の平に布越しに鉄の感触があることを確かめると、倒れる衝撃に合わせて下から押し出すように少しだけ指で突く。てこの原理でグリップから先に拳銃が地面へと零れ落ちていった。

「いってて、なんだあの自転車危ないな、大丈夫でし・・・?どうしました?」

大丈夫かと声をかけた彼女からの返事が無い。それどころか彼女は口をわなわなと震えさせて、ある一点を見つめているじゃないか。その視線の先をおそるおそる追ってみると、そこにはいつの間に落ちてしまったのか、一般人には刺激の強すぎるものが露になっていたのだった。しまった、という顔で山田がハっと息を飲む。恐怖から何も声を発せない彼女に、これが本物ではないとを思い込ませねば。その一心で彼はすっとんきょうな声で「あ、あはは」と笑うが、依然として彼女から恐れが引かない。それどころか、力が抜けてしまって動けないだろう体で後ずさろうとしている。

「ちっちがいます!これ、今流行のライターですよ!ほら、008のリメイク映画があったでしょう!」
「えっ・・・ラ、ライター?」
「そ、そう、ちょっと中二病っぽいけどかっこいいな〜って」

取り繕うために必死になる彼は、さらにポケットから煙草を出して見せる。困惑と猜疑心たっぷりの視線をぶつけながら、はその内心では拳銃の形状をしっかりと観察していた。側面に刻まれたベレッタのロゴに、グリップに型押しされた種類を示すPX4の表記。

(イーゲルとは関係ない、か)

これで山田の身辺から何も出なければ、彼がイーゲルの残党から武器を買ったのではないと証明される。そうなれば、知らないと一点張りの逮捕された男の証言も、おそらく真実ということだろう。そこから導き出されるのは、どこからか流れ着いた拳銃がさらにまた流れたか、または組織と泥参会がどこかで関係していたかという可能性。武器の回収は元より残党狩りの主眼にはないが、反社会組織との結び付きとなればその詳細は追わねばならない。まだまだの肩の荷は下りなさそうだ。

「び、びっくりしたあ・・・そうですよね、本物なんて手に入るものじゃないし・・・」
「あは、あはは、そうですよ、男っていくつになってもこういうの好きで困りますよね、女性からしたら」
「た、たしかにそうですね、でもほんと、びっくりしちゃいました」

からようやく安堵の色が見えたことに山田はホっとするも、内心ではかなり狼狽しながら拳銃を胸ポケットにしまい入れていた。どうにかして穏便に済ませなければならない、と彼は散らばってしまった菓子を率先して拾い集め、「本当に怪我はないですか?」と尋ねる。「大丈夫です、すみません拾ってもらってしまって」と返されたところにさらに、「お互い不注意はだめですね」と付け足されたので、ぶつかった相手が優しい人間で良かった、と彼もまた胸を撫で下ろす。対歩行者となればどうあがいても過失は自転車側と判断されてしまう。気の短い人間にでも当たっていたらば最悪の事態も予想されたのだから、不幸中の幸いというものだ。再び彼女の手を取り立ち上がらせてから、倒れた自転車も起こしにかかる。

「何かあったら杯戸ショッピングモールの家電量販店に来てください、そこで働いているので」
「気にしないでください、本当に大丈夫なので。私こそごめんなさい」
「いえいえそんな、それじゃあ失礼します」
「あ、はい、失礼します」

がらがらと自転車を引きながら山田が会釈をする。数メートル進むと彼は左足をペダルに乗せて勢いをつけて、サドルに跨りそのまま去っていた。小さくなっていく後姿を見届けたは、風見に連絡を取ろうと携帯に手を伸ばす。だがその時だった。後ろから誰かに肩を叩かれたのは。

「降谷さん・・・」

振り返るとそこに立っていたのは、眉間に皺を寄せて立つグレースーツの上司だった。









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