(き、機嫌が悪い気がしないでもない)

心臓をナイフで一突きされたかのように、グサリと刺さるブルーグレイの視線。降谷がここにいるということは山田の家宅捜索を無事終えたということで、足止め役としては十分に役に立ったことを意味している筈なのだが。しかしどこからどう見ても彼は機嫌が悪そうだ。その形相から彼女が一歩後ずさるが、すかさずその距離を詰められてしまう。

「お、お早いですね」
「・・・おかげさまでな」

声のトーンがやはり低い。うう、との顔が引きつる。思い当たらない節がない訳ではない。その自覚が彼女にはあった。風見に数回止められたのを振り切って、自分が山田と接触してしまったのだから。とはいえ捜査資料にイーゲルの製造武器の写真を載せていないことから、それらを見分けることができるのは、この場では自分しかいなかったのもまた事実。

「佐伯」
「は、はい」
「・・・」
「降谷さん・・・?」

依然として凄みをぶつける降谷の口が何か言葉を紡ごうと動くが、思いとどまるようにすぐさま閉じられてしまった。

(・・・落ち着け、公私混同は良くない)

降谷はぎゅっと拳を握り締めて考えた。彼女にぶつけようとしている気持ちがこの場に即しているのかどうかを。
最後の一部屋の捜索はそう骨を折るものではなく、データも残り五分と表示されたところから思いの外とんとん拍子で進み、予想していた時間よりも早く山田の自宅を後にすることができた。車に乗って部下たちのいる通りとは反対側の国道に出て、ハンズフリーで風見と連絡を取ってみたらば何やらが体を張っているという。即席で考えたにしてはよくできた作戦だが、急いで現場付近に停車したらば山田と倒れている彼女がいるではないか。しかも地面には拳銃が転がっている。おそらく山田の家から拳銃が見つからなかったからこそ、彼女はああして体に直接触れるつもりだったのだろうが、発砲でもされたら一体どうする気だったのか。生憎こちらは今回拳銃の携帯も発砲も許可されていない。山田の性格を考えての行動だったのは分かるが、防弾ベストも着込んでない今、万が一のことが起きたらそれこそ大事件だというのに。
だからといって彼女を信頼して送り出した手前、何故あんなことをしたんだと言うのは仕事を全うする一人の人間に対して失礼に当たる。考えもなしに突っ込んだのならまだしも、彼女なりに様々なことを予測しての行動だったのだから、彼女にだって算段はあったのだ。怪我をしてほしくないのは公私共にもちろんのことだが、少なくとも現場で背中を預け合っている以上、心配が信頼を上回るようなことがあってはならない。考えに整理が付いたところで降谷は深呼吸を一つして、肩の力をすっと抜いた。耳の後ろの癖っ毛が僅かに揺れる。彼の瞳からはもう怒りは消えていた。

「怪我はないか?」
「はい、この通り」
「トレーニングで投げ飛ばされた甲斐があったな」
「あはは、筋肉痛になって良かったです」

口角を上げた降谷の顔に、もようやく安堵して目を細める。至って健康そうだと彼もまた胸を撫で下ろしながら、彼女の肩に付いた土ぼこりを軽く手で払った。

「助かった。よくやってくれたな」

そう言うと降谷は僅かに首を傾げて、の顔を見据えて笑った。彼の一言に彼女の瞳が次第に輝き出す。役に立てたことがとても嬉しかったようで、彼女は返事の代わりに零れんばかりの笑顔を返したのだった。

「ちゃんと、拾いに来たぞ」
「ふふ、待ってましたよ」




*




「うーん外れでしたね」
「事件を未然に防げたんだ、やった甲斐はあったさ」

逮捕令状の発布を待ちつつ、警視庁の応援とともに逮捕に向かうという風見たちと別れた二人は、行きと同じように降谷の車に乗り込み、今度は警察庁へと向かっていた。山田のパソコンのデータを分析してみないと詳しいことは分からないが、彼の所持していた拳銃からして、今回は特に重要な情報はないだろうとは踏んでいる。しかし降谷の言う通り、テロ事件を未然に防げた(実際はまだ逮捕されていないが)ことは大きい。市民の平和に貢献できたならそれ以上のことはないだろう。

「いや〜でもこれで少し休暇がもらえます」

何か出てきたらば休日返上で出勤しなくてはならなかったとが苦笑する。泥参会との繋がりの疑惑は、少ない時間でどうにかできるだけの問題ではないのだから、それが原因で休暇が取り消されたりはしないだろう。ドイツから帰ってきてから彼女が、いつぞやの墓参りのための午後休以外休みがないことを知っていた降谷も、「それは良かった」と呟く。心身ともに少しでも落ち着けるのならなによりだ、と。

「どこかに羽根を伸ばしに行くのか?」
「ニューヨークに行こうと思ってます」
「ニューヨーク?またどうして?」

急な話に降谷がすっとんきょうな声をあげる。その横では話し出した。クラウスの母がニューヨークに住んでいるのだということを。帰国の際にしばらくはゆっくりさせてやる、と上司から言われていたためにその時にでも訪れようと目論んでいたのだが、その「ゆっくりさせてやる」がデスクワークのことを指していたとは思っていなかったのだ。庁舎に篭りっぱなしで、彼のことを伝えられていないからと聞くと、降谷は「へえ、ニューヨークに住んでいるのか」と返した。

「クラウス、アメリカとドイツのハーフなんです。生まれも育ちもドイツなんですけど、大学二年生の時に、アメリカに住んでるおばあちゃんの介護のためにお母さんだけ引越したんですって」
「そうだったのか。たしかに途中で大学をやめる訳に・・・って潜入捜査官だったな。引っ越すわけにはいかないか・・・」

そうだ、と話を折るようにがコンビニの袋から、ミネラルウォーターを取り出した。腹の足しにはならないが、喉を潤すぐらいにはなるだろうと降谷のために二本買っておいたのだ。ついでにおにぎりの一つや二つ買っておけば良かったのだが、悲しきかな財布の中には五百円玉しか入っていなかった。「飲みますか?」と問うと、「ああ、いただくよ」と返ってくる。ボトルのキャップをひねって回すと、パキンとプラスチックの割れる音がした。彼が受け取りやすいよう、彼女は横からではなくやや手前にそれを差し出す。視界にすんなりと入ったそれを受け取った降谷が、ハンドルを片手で操りながら口を付けた。ボトル周りに汗もかかないほどもうぬるくなってしまっていたが、それでも乾いた体にはオアシスだ。食道を通って胃に落ちていく水を感じていると、ふとあることが脳裏を過ぎった。

(あれ?そういえばこいつ英語・・・)

確かできなかったよな、いや、苦手だったよな。それなのにニューヨークになんか行って大丈夫なのだろうか。クラウスの母と会えればドイツ語が通じるとしても、それ以外の場所ではどうやって生きていくというのか。「ありがとう」とペットボトルを彼女に渡して降谷はまた話を戻す。

「一人で行くのか?」
「あ、えーと、そうですね、クラウスの彼女と行く予定を立ててたんですけど、懇意にしてる取引先の都合で、出張に行かないといけなくなってしまったみたいで・・・」
「つまり一人なんだな」
「・・・一人ですね」
「英語は」
「あ、あいかんすぴーくえんぐりっしゅ」
「・・・それはドイグリッシュだな」
「・・・はは、は」
「ふっ・・・」

もしかして自分は何か面白い冗談でも聞いていたのだろうか。まさか自分の耳を疑う日が来るとは、とばかりに降谷は鼻で笑って自身の髪をかきあげる。アメリカの地に放したならば彼女は絶対に死ぬ。その自信が彼にはあった。なのに隣から「あはは」と乾いた笑いがするので、笑ってる場合かと呆れて隣を一瞥する。するとふと黙ってしまった彼女の瞳とかち合った。その瞳はじっと降谷を捉えて離さない。

(・・・降谷さんと、町を歩いたら、楽しいかな)

今度はではなく、として。
どきり。呼吸が詰まるぐらいに心臓が高鳴った。

(どうしよう、私・・・わた、し)

自分のことを一瞬でも良いから見てほしいと、思ってしまうなんて―…。

「どうした?」

言うや否やは視線を泳がせてしまった。膝に乗せた手をもじもじとさせて。何か言いたいことがありそうな気配だが、一向に口を開かないどころか顔まで背けられてしまう。見兼ねて「?」と降谷が口を開くが、「いえ、なんでも・・・」と返ってくる始末。何でもない奴の態度じゃないだろうと再度彼が、「言いたいことは言った方が良い」と言うと、どうしたことだろう彼女の頬が赤くなっていることに気が付いた。今の流れのどこにそんな要素があったのだろう。ああそうか、英語の喋れなさに恥ずかしくなったのか、と合点がいった降谷だった、のだが。

「あ、あの、その、ふ、ふるやさん、も、一緒に、行きませんか?」
「・・・!?」
「あっ前!赤です!赤!」

言ってしまった。後に引き返せないことを言ってしまったとが思った頃には、金切り声のようなブレーキ音が車内にも車外にも盛大に鳴り響いた。横断歩道を歩く人間のうち数人が、過ぎ去りざまに白い車体に物々しい視線を飛ばしている。車内では圧のかかった体のバランスを取ろうとが窓枠を掴む一方、降谷は心臓が止まったとばかりにハンドルを握り締めたまま顔を埋めていた。

「・・・いきなりそんなこと言い出さないでくれ」
「だ、だって」

まさか二回目が来るとは思わなかった、と体勢をそのままに彼は大きなため息を吐いて、まだ頭をもたせ掛けたまま、油の足りていなさそうなロボットのように助手席に顔を向ける。

(こいつ、自分が何を言っているのか分かっているんだろうか)

仕事終わりに食事をしに行くのとは訳が違う。そう、今日はこんなことがありました、あんなことをしましたと言って乾杯で疲れを労う平凡な日常とは全く訳が違うのだ。デートらしいデートだってまだちゃんとできていないにも関わらず、ニューヨークに一緒に行かないか、だなんてすっ飛ばしすぎにも程がある。しかも異性に―少なからず好意を示されている相手に―それを言うだなんて。これで彼女がドの付く鈍感で天然だったならば今の発言に理解もできようが、残念ながら彼女はそのタイプではない。その証拠に顔はしっかりと赤いのだから。

(少しは心を許してくれたんだろうか)

上司と部下の関係以上であることへの自覚はあるのだけれど。それに、その関係を超えていくと宣戦布告のようにも伝えてはいるのだけれど。だけれども。そうなったら受け入れると彼女が言っているからといって、我を押し通しては意味がない。大事なのは信頼関係と彼女の気持ちだ。それを思えば少しは彼女も自分にときめいてくれているのでは、と先ほどの言葉に期待せずにはいられない。
そんなことを思っていたらとっくに信号が青に変わっていたようで、後ろの車から小さい音でクラクションを鳴らされてしまった。運転を再開し出すと、すっかり昼間を過ぎて西日に傾きかけた日差しが、やけに眩しく感じられた。

「も、もうホテルのキャンセル期間も過ぎてて、一人分キャンセルできないですし、それに、その、英語が、ですね」

最後の方は聞こえないほどに小さな声だった。人差し指と人差し指を合わせてもじもじとさせながら口を窄ませる姿を尻目に、降谷はウィンカーを出して右折する。

「俺はただの通訳なのか?」
「あははやだなあそんなことないですよ」
「棒読みなんだが」
「・・・降谷さんと、行きたいです?」
「疑問系なんだが」
「ふ、ふるやさんと行きたいなあ」
「声が引きつってるぞ」

ついからかってしまうのは悪い癖だと降谷は思った。好きな子ほどいじめたくなるというやつだろうか。心が跳ねているのが自分でもよく分かる。しかし次の瞬間に上げられた諦念の声音を聞いて、彼は同時に言いすぎたか、と反省した。

「うっいいですいいです忘れてください一人で行ってきますから」
「行かないとは言ってないじゃないか」
「・・・い、いじわる!」
「なんとか口実を作って休暇をもぎ取ってこよう」
「職権乱用にならない程度でお願いします」

目が本気だよこの人、と引きつるの傍ら降谷はアクセルを強く踏み込んだ。鼻歌が出てしまいそうなぐらいに、自然と頬が緩むのを感じる。アスファルトも普段より日差しを照り返してきらきらと光っている気がしなくもない。もうあと百メートル。警察庁は目と鼻の先だった。



















「すまない、初日だけはどうしても無理だった。二日目からの合流になるが大丈夫か?」
「た、多分・・・。幸い初日はクラウスのお母さんと会うので」
「そうか・・・死ぬんじゃないぞ」
「い、生き延びます・・・」
「最低限生き延びれるだけの英語メモを作っておこう」
「私は英語のこと好きなのになあ・・・でもね降谷さん、英語が私を嫌うんですよ」
「なーに上手いこと言ってる。俺が行くまでちゃんと良い子で待ってるんだぞ」
「はーい良い子で降谷さんを待ってます」
(・・・ふっ、自分で言って自爆するとはな)
「降谷さん?」
「・・・なんでもないよ」
「?」









(2017.7.3 Von Anfang an entschied ich mich schon über die Antwort=はじめからもう答えは決めていた)
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