降谷との二人が山田の家宅捜索を安全に行うための見張りと、新たに不審な点が浮かび上がらないかという監視のために、風見率いる作業班は今日も汗を流して現場に出ていた。彼女から連絡を受けた風見は、山田の勤務する家電量販店内にて数組に分かれて客の振りをしている部下たちに、「降谷さんらが配置についた」と小型のインカム越しに連絡を送る。彼らから次々に返事がくるのを確認すると、彼は自身の腕時計に視線を落とした。時刻は正午前。山田の勤務が終わるまでには十分時間がある。あの二人ならば大した心配はいらないだろうと、黒いワンボックスカーで待機する司令塔の彼は、まずは第一段階突破だ、とその体を背もたれに預けて、引き続き現場からの連絡を待っていた。

(あの拳銃がさんが絡んでいた組織のものとは思わなかったが・・・、降谷さんも出てきたとなれば何かしらは見つかるだろう)

降谷の登庁がなければ当初は、風見がと一緒に山田の隠れ家へ向かう予定だったが、自分よりも何倍も頭の切れる上司が出てきたとなれば、そこに自分が行く必要はどこにもない。彼女が追っていた組織については彼の方が詳しいし、それになにより彼女の扱い方もそうだ。能力値に関しては粗方聞いてはいたものの、彼女は基本的には国外の情報収集がその主な仕事であるために、風見と現場に出たことはまだない。実際に彼女の様子を間近で見ていた降谷がいるのならば、後手にまわってサポートをするのが部下の務めというものだ。




*




「ここから先は車では無理だな」
「また随分とほっそいですねえこの道」

山田の隠れ家らしき家屋まであと一歩というところで、急に道幅が狭くなってしまった。オートバイがすれ違えるかどうかも怪しい。どう頑張っても降谷の愛車ではそこを通れそうもないので、近くにあった駐車場に一旦車を止めることにした。そこから二人が降車する。暖かな太陽の日差しが、そこに止まっている車一台一台を眩しく照らすのが目に入ると、車内にいたからか、はたまた瞳の色素が薄いからか降谷は一瞬顔を顰めた。「大丈夫ですか?」とが声をかけると彼は「ああ、問題ない」と答える。二人が歩き出すと、駐車場の地面に敷き詰められた砂利が擦れる音を立てた。

「えーっと、このあた・・・ああ、きっとあの建物ですね」
「また古い建物だなあ」

ナビのアプリケーションに従い細道を歩くこと数分、二人の視界に現れたのは築三十年は優に超えているであろう二階建ての古いアパートだった。日当たりは良さそうだが、如何せんあのような細道ゆえに、駐車場もなければバイク置き場の設備もない。「入居者募集中」の看板も、一体何年前のものなのか予想も付かないぐらいに錆だらけだ。壁も元来は白のペンキで塗られていたのだろうが、それもボロボロに剥がれて地が見えてしまっている。二階に続く鉄製の階段ももう色が変色していて、強度面にかなり不安があった。日当たりが良いという理由だけでは、お世辞にもここに住みたいとは思えないようなところなのだった。

「だが秘密基地にするには持って来いってところかな。部屋番号は」
「一〇三です」
「よし、行こう」

経年劣化で退紅色になってしまったドアに付いていたのは円筒錠で、それも同じようにくすんだ銀色をしていた。表札はなく、新聞受けはガムテープで閉じられていて、風見の言う通り人の気配を感じさせない。二人は目を見合わせて一度頷くと、それぞれポケットから手袋を取り出し、指紋を残さないために装着する。その後から降谷にピッキング用の工具が手渡されると、彼女が周囲に視線を配る傍らで、彼の素早い手つきが寸分の狂いもなく綺麗なまでに作業を進めていく。古いタイプのノブとはいえ、彼の手さばきは見事なもので、二本の工具のうち一本がするりと奥まで挿入されると、数秒もしないうちにガチャリ、と開錠される音が鳴った。

「空き巣としても生きていけそうですねその速さ・・・」
「おい・・・失礼だぞ」

「すみません」と肩を竦めて笑ったに降谷が手袋越しにでこピンを飛ばすと、咄嗟のことで彼女はきゅっと目を瞑ってしまった。「ほら入るぞ」の声に慌てて目を開いて彼の後に続く。ドアの奥は、電気を点けずとも窓から差す太陽の光で十分に見渡すことができた、のだが。

「なにも、ない」
「見事に空っぽですね」

八畳ほどの畳張りのワンルーム。換気がなされていないのか、踏み入れてすぐに二人の鼻を突いたのは、湿っぽさと埃臭さだった。室内にあったのは古いエアコン―室外機に伸びるコードも黄ばんでしまっている―と、木漏れ日の差す窓、それからガスコンロが二つ備え付けられたキッチンと、トイレも一緒になった浴室だけ。至るところにうっすらと埃が乗っていてた。家具もなく、衣類の一つも落ちてはいない。全く生活感の感じられない部屋があまりにも異様で、二人はただ部屋を見回すばかり。とりあえず盗聴器の有無が最優先だと足音を立てぬようにぐるりと一周してみたが、特にそれらもなく再び居間へと舞い戻る。

「既に何かを持ち出した後なのかもしれない。窓の鍵には埃が付着しているが、押入れの取っ手にはそれがない。怪しいのは押入れだな」
「開けたらどっかーん・・・は、ないですよねさすがにこの湿気具合じゃ」
「そうだな。それにトラップでもあったらそれこそ山田が怪しいという証拠だし、下手な仕掛けはないだろう」

再び二人は目を見合わせて息を呑み込む。「開けますね」と伸ばしたの手を遮るように、降谷が体ごと彼女の前に出てふすまに手を掛ける。大きく深呼吸を一度し、意を決して扉を開けると、そこから出てきたのは大量の家電製品の箱だった。罠が仕掛けられてはいないことに二人は安堵するも、この室内の空っぽさからは想像も付かない量の箱に、驚きを隠さずにはいられない。

「空気清浄機に美顔機に湯沸しポットにフライパンにその他もろもろ・・・また随分と多岐に渡ってるな」
「山田が家電量販店に勤めてるのと関係あるんでしょうか・・・あ、でも開けられた形跡があるものが殆どですね」
「とりあえず開けてみるか」
「はい」

どうやら新品というわけではないらしい、と手前に詰まれた箱をいくつか取り出して開けてみる。するとどうしたことか空気清浄機の箱から出てきたのは二つの圧力鍋だった。入れ間違いにしては随分と大きな間違いだ。となれば意図的に詰められたと考えるのが妥当だろう。一つ、また一つと箱を開けていくと、大概が外見と中身の一致しないものばかりだった。しかも、それらの中のいくつかには圧力鍋が入っている。圧力鍋の箱が存在しないにもかかわらず、だ。とくれば怪しいのはこれだろうと、二人はそれぞれビニールの梱包を取り除いて鍋の蓋を開けてみる。だが変わったものが入っているでもない。空っぽだ。新品同様の銀色が彼らの顔を魚眼レンズのように映し出した。だが「ん?」と、ふとあることに気が付いた降谷が眉間に皺を寄せる。

「黒い・・・粉?」

チリだろうか、それともまた別の何かだろうか。極々微粒だが黒い何かが底に付着している。それを人差し指で掬い上げるが、あまりに僅かすぎてこの量だけでは判別が付けられない。

「降谷さん、こっちにもあります、黒い粉」

が見ていた鍋にも同じように付着していたらしい。彼女も指でそれを掬ってみせる。降谷のそれよりも量が多かったため、彼は彼女の方にぐいと顔を寄せてまじろぎもせずに観察した。彼女が粉を広げるように人差し指の上で親指を擦ると、その粉のところどころに白いものも混ざっていることが分かった。しかもその白い粉が微量の光を放つことから、もしかして、とブルーグレイの瞳が見開かれる。

「大体こんな数の圧力鍋からしてそうじゃないかとは思っていたが、おそらく硝酸カリウムだろうな」

彼の言葉に合点のいくものがあったらしい。もまた目を見開いてぱちぱちと瞬きをさせながら、降谷と自身の指を交互に見やる。

「ってことは、この黒いのは、まさか木炭・・・?」
「察しが良いのは助かるよ。よし、写真を撮ったら山田の家に急ぐぞ」




*



再び車に乗った二人は、山田のセーフハウスについてあれやこれやと意見を交わしていた。拳銃の入手経路については特に何も得られなかったが、代わりに風見たちにとってとても大きいニュースが手に入った。もちろんそれはまだ降谷の憶測を出ないものであるために、はっきりしたことはまだ言えないが、捜査が進展したことだけは確かだ。大量の家電製品があったのは、おそらく圧力鍋を隠すためのカモフラージュだろう。そして鍋の底に付着していた粉は、彼の見立てが正しければ硝酸カリウムと木炭。圧力鍋にこの二種類の化学薬品。そこから爆弾どいう二文字を導き出すのは至極簡単だ。おそらく硫黄やもう何種類かの薬品も混ざっていたに違いない。

「でもあの部屋、火薬を保管するにはちょっと場所が悪いと思うんですよね。いくら密閉容器に入れてたとしても、すぐに劣化しちゃいますし」
「そうだな、普段は山田自身の家で爆弾を作っていたんだろう。家宅捜索が入るのを恐れて分解してあそこに持ってったんだろうな。それで昨日火薬だけ取りに帰ったのかもしれん。火薬だけなら大した量ではないし、密封していれば数日間ならあの部屋でも問題はないからな。それにしてもあれだけの量を一体どこで爆破させるつもりなんだ・・・」
「もしかしたら、週末の杯戸町まつりかもしれません。あのお祭りの目玉、毎年派手なパレードでしたよね」
「そうか、あの大通り一体をパレードが行進するとなると相当な距離になるからな、圧力鍋の数からして可能性はありそうだ」

人が集まれば集まるほどその効力が増すとなれば、彼女の言うパレードはかっこうの的だ。杯戸駅も人が多いとはいえ、地面が見えなくなるほど常に人で埋め尽くされてはいないし、それに監視カメラもいくつも設置されている。
時刻はまだ午後一時。山田が帰宅するまでにはまだまだ余裕があった。だが急ぐに越したことはないと降谷はアクセルを踏んで、どんどんスピードを加速させていく。その速さから、は速度メーターをちらりと覗き込んでしまうが、すぐさま自らの行いを後悔した。非常用のサイレンがあるならまだしも、公安職員は普段それを携帯していない。杯戸町へと向かう一本道の速度制限を優に超えていたことから、どうか巡回中のパトカーに見つかりませんように、と降谷のあずかり知らないところで祈りを飛ばしていたのだった。

「それはそうと、イーゲルが販売していた武器の種類は?」
「なんでもありです。元のモデルさえ手にしていれば、工場を持っていたので作り放題でした」

「恐ろしい組織だ」と降谷がつぶやく。黒の組織も武器の密売に手を出してはいるが、イーゲルのように工場を持っていた訳ではない。あくまで買い付けたものを流したり、その逆を行っていただけだ。それを考えればイーゲルが裏の組織に重宝されていたのも、その黒幕が多額の資金を操ることのできる州知事だったのにも納得がいく。助手席から「ただ」と声が上がったので、彼は前方を見たまま「ただ?」と聞き返した。

「あのサイレンサーが内蔵されたリボルバーはちょっと特別で、一定の売り上げが期待できたので、そこそこ流通してたと思うんですよね。私も含めて構成員の多くが使ってましたし。でも構造を知った上で買わないと、あれシリンダーが飛び出す位置が逆なので、慣れないと使いづらいんですよ。だから、ある程度射撃訓練を受けた人が購入する傾向が強かったですね」
「そうか・・・。サイレンサー付きのリボルバーなんて犯罪者だけじゃなく根っからのガンマニアにも魅力的に聞こえるしな。ということは逮捕された男はやはりイーゲルとの関連が?」
「いえ、逮捕直前に発砲しようとしたらしいんですが、銃弾の種類が違ったのでできなかったみたいですよ。あのリボルバーの知識は彼にはなさそうなので、多分流れ着いたものがさらに流れてっていうところかと」
「なるほど。まあ構成員をしょっ引く以上に武器の回収は途方も無い作業だからなあ」
「いたちごっこみたいなものですしね。あ、次左です」
「ん」

言われた通りに交差点を左に曲がると、そこはもう杯戸四丁目だった。風見に連絡を入れるためにが携帯を耳に当てている。これまでの状況と成果を伝えているのを隣で聞きながら、降谷は変わらず前方を見続けていたが、突如車内に響いた音に思わず助手席を振り向く。すると、腹部を摩りながら恥ずかしそうな顔をする彼女と瞳がかち合った。我慢できずにハンドルを握り締めながらくつくつと笑い声をあげると、電話越しに風見が「どうかしましたか?」と尋ねる声が彼の耳に入った。「なんでもありません、引き続きよろしくお願いします」と隣のが電話を切る頃には、ばっちり聞かれてしまったとばかりに、彼女の耳がすっかり赤くなっていた。こんなにすぐに顔が赤くなるのによく犯罪組織なんかに潜入してたな、と思う降谷だったが、そうさせる要因が自分にのみあるとは露とも思い至らないらしい。

(・・・掴まれてばっかりだ)

手際よく作業を進める凛とした姿や、鋭い洞察力を見せながら、それでいて今みたいに情けない顔になったりする。そうした表情の変化に、もう何度心を奪われたか分からない。今が気を引き締めないといけない仕事だと分かっていても、ひとたびその顔を見てしまえば心が揺らめかないではいられなかった。この気持ちを、いつかちゃんと言葉にして伝えることができたらいいのに。堤無津川で彼女が言っていたことは確かにその通りだと体に刻み込んだ降谷だが、そのことと勇気を奮うことはまた別の話なのだった。

「今日は昼飯抜きだからな、腹も減るなそりゃ」
「朝ごはんも食べてないのでもうほんとひもじくて・・・ってすみません、降谷さんもお腹空いてますよね」
「君の可愛い顔が見れたからそれで今は満足だよ」
「い、い、意味分かりません・・・それでお腹が膨れるなら私は今頃穴が開くほど降谷さんのこと見てますよ」
「・・・!?」
「ちょちょちょっと前!見てください!前!」
「俺が人を轢いたら全部君のせいだ」









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