「地元警察が来るなんて聞いてなああい!!!」

バタンと扉の閉まった救急車の中で、ブルーシートの塊から耳を劈くような大きな声が上がった。

「どういうことですかあルディさん!」
「分かった、分かったから落ち着け」

シートの中で死体、ではなく両手両足ともに元気にジタバタとさせている女、の肩を宥めるようにルディが両腕で押さえている。「どうやらどこからか垂れ込みがあったらしい」と彼の横で担架から降りて座り込んだオリバーが、ぐったりと疲労に満ちた表情で言う。

「垂れ込みって一体誰が・・・、連邦警察は何をしてたんですか」
「張り込んでいるところを地元警察のやつらに見つかりもめていたらしい。話をつけるのに時間がかかったそうだ」
「だったら話をつけてから乗り込んできてほしいですね!防弾チョッキ着こんでなかったら今頃ほんとにお腹撃たれて死んでました!警察手帳見せてるのに容赦なく撃ってきましたよあの人たち!」
「おいおい、チョッキて言い方は古くないか?俺でもベストって言うぞ。だよなあオリバー?」
「え?ああ〜そうですね」
「突っ込むところそこじゃないです!!!」

へらへらと笑っている上司を他所に車内にの怒号が轟く。「ベルトしてないんだから静かにしないと落ちるぞ」と忠告するオリバーの声も届いていないようで、担架の上でまだぶつくさと文句を言っている。

「生きてて何よりだよ」
「日本に帰れずに死んだら私はルディさんのところに化けて出ますからね」
「日本のホラーは精神攻撃が凄いというからな、それは怖いな」
「笑いごとじゃないですよ、ほんとに」

警察官になっておいて何を今さら、と言われるのは分かっているが、痛いのが嫌いな身としては、何も知らされてない恐ろしさはできることなら味わいたくない、とからため息が零れる。
あの時、本当ならば倉庫内に全員が揃った段階で、倉庫の周りを連邦警察が囲む予定だった。そして倉庫からオリバーが出るタイミングで彼らが突入し、ナンバーツーを逮捕するという手筈だったのだが、飛び込んできたのは全く見知らぬ顔の警察ではないか。
彼らは地元警察たちだったが、全員完全防備の武装をしていて、見回り途中に変な奴らを見かけましたといった風ではなく、明らかにここに乗り込むために準備をしてきたといった風だった。倉庫の周りには何人も警備についていて、一般人がおいそれと入れないようになっていたために、詳しい情報を地元警察に垂れ込むなんてことは到底考えられない。ならば黒の組織かとも考えられたが、彼らからしてみれば警察に乗り込まれるメリットがない。仮にオリバーを最初から見殺しにする気だったとしたならば、わざわざバーボンを顔合わせに行かせたり、倉庫内にカメラや照明を仕掛けたりする必要もないのだから。無駄な労力を課してまで警察にリークする意味が分からない。それにナンバーツーも自ら取引に参加したいと名乗りを上げたのだ。彼にも警察を呼ぶ理由はない。となると連邦警察の中にその犯人がいるのだろうか。しかしそれも考えづらい。仮に地元警察が組織に関わる人間を逮捕しようとも、その案件は彼らが捜査を始める前に、連邦警察に止められてしまうのだから。では連邦警察内部にイーゲルの内通者がいた線はどうか、とも思われたがそれならナンバーツーはそもそも取引には来ないだろう。誰かが寝首を掻いて彼の首を狩ろうとしない限りは。

「ヘルックの構成員も逮捕できたことだし、なにはともあれ、両方の組織を崩す足がかりは作ったわけだ。これは大きいぞ」
「・・・ルディさん」
「どうした」
「お、おなかが痛いです、物理的に・・・肋骨も痛いです、物理的に・・・」
「ベストを着てるとは言え撃たれたからなあ」

防弾ベストの目的はその名の通り銃弾を防ぐためにある。しかしそれは予想された銃弾ではなく、偶然の―つまり流れ弾や予想外のところからくる―飛来物の貫通を防ぎ、致命傷を回避することが元来の目的だ。だから防護をしていたとしても、銃弾の衝撃はそのまま体に伝わる。当たり所が悪ければ肋骨も折れるし、内臓が破裂してしまうこともある。衝撃を吸収するよう作られていても、一発打ち込まれてしまえばその強度はかなり下がるので、次に一発食らってしまったらばもっと体に負担がかかるという訳だ。あれやこれやと小言をもらす元気があることから、はそこまで重症ではなさそうだが、一息ついて痛みが追いかけてきたのだろう。「うっ」と青い顔を浮かべ、手で腹部をさすりながら横側に寝返りを打つ。そんな彼女をルディがシート越しに「よしよし」と軽く叩くと、殊更響く痛みから濁音にまみれた「うっ」という呻きが彼女からあがった。

「ひ、ひどいぃ」
「にしても蓑虫みたいだな、顔だけ出して」
「おちょくってんですか、命令したのはルディさんでしょう」
「まあまあルディさん。それにも」

黒の組織からしてみれば、警察が乗り込んでくるというのは計算外だっただろう。だからナンバーツーが逮捕された後に、オリバーとがへらへら笑いながら出てきてしまっては監視をしているバーボンに疑われてしまう。そこで、オリバーは重症を負い担がれて運ばれた救急車の中で息を引き取り、はシートに包まれて遺体として退場という流れで一芝居打ったのだが、オリバー曰くバーボンは倉庫から五百メートル離れた廃ビルに陣取っていて、中の様子は監視カメラを通してモニターからチェックし、入り口の方は双眼鏡でチェックしているというのだから、倉庫から外は大体の様子が彼に伝われば十分だった。カメラに仕込んである小型爆弾が爆発さえしてしまえば、あとは倉庫の中で好き勝手準備ができるというわけだ。

「おそらく、垂れ込みは黒の組織だと思います」
「どういうことだ」
「あまりにも取引開始直前だったので、報告できなかったんですが・・・」

オリバーの話はこうだった。もともと今回組織から与えられた任務はデータをイーゲルに渡すこと、そしてオリバーはイーゲルから受け取ったデータを中央駅で待つ、バーボンとは別の仲間に渡すことだった。しかし取引開始間際にその別の仲間から、データは手渡しではなくパソコンから送れ、と連絡があったらしい。

「実は、その別の仲間とは会ったことがなくて。電話でのやり取りしかしたことがないんですよ。多分顔を合わせる気がなかったんでしょうね。先ほど二人とも見たから分かると思いますが、組織から渡されたデータは偽物で架空の宗教団体についてでしたから、警察にでも介入させて、そもそも黒の組織はイーゲルとは関わりがなかった、ということにしたかったのかもしれません」

なるほど、とルディが眉間に皺を寄せる。しかし同時に謎も残ったようでが声を荒げた。

「じゃあバーボンの意味は?なんで彼今回この取引にやってきたんですか?」

オリバーの言う取引間際の作戦変更情報を、どこまでバーボンが知っていたのかは分からないが、もとからオリバーを見捨てる気でいたのならなぜ監視カメラを設置する必要があったのだろうか。

「それは・・・そうだな、俺がデータを送る時に怪しい動きをしないかとか、イーゲルに余計なことを言っていないかとか、そんなところじゃないのか?それにバーボンにはカメラを壊す仕事もあったわけだし」
「でも、だったら別にコードネームを持ってる人間じゃなくても良かったですよね?別の仲間は何してたんですか?」

カメラを壊すという仕事のために、一体なぜコードネームを持った人間がわざわざ顔を晒しに来たのか。その別の仲間とやらがモニターを確認すれば良かっただけの話ではないのか。

「別の仲間もコードネーム持ちさ。そいつはヘルックとの取引を監視しに行くと言っていたから、人員が必要だったんじゃないのか?」
「うーん」
「どうした?」
「いえ・・・」

は考えていた。自分が二日間バーボンの相手をしていたことについて。
今回取引のための顔合わせを提案したのはドミニクだ。黒の組織にどういう人間がいるのかを知るために、あの場をセッティングした。そして釣れるか釣れないかはわからないが、をガイドとして使ってくれとでも言うことで、さらに組織について何か得られることはないかと探りを入れたのだ。その誘いに応じたのは、黒の組織もイーゲルの内情を気にしているからだと思っていたが、オリバーの話からそれは考えづらい。が武器開発の工場の場所を知っていて、それを引き出そうとしていたのなら話は別だが、バーボンからはそういった素振りはなかった。とはいえ盗聴器を仕込まれたのは事実なので、何かしらの情報は得ようとしていたのかもしれない。

(・・・取引を壊すのを悟られないためにバーボンを連れてきた?)

黒の組織の人間がイーゲルに良い顔をしていれば、とりあえずは信用すると思ったからだろうか。それを考えれば人身掌握術に長けていそうなバーボンが来たのにも納得がいく。

(でも顔合わせに来る人間に日本人がいるとは言ったけれど、性別までは言ってない)

もしガイドとして残されたのが男だったら、バーボンはどう行動していただろうか。確かにバーボンの物腰の穏やかな雰囲気に心を許してしまったとはいえ、それは彼自身にであって組織にではない、なんて、言い分けにはならないか。

(う、キスもしちゃったしな)

まるで心臓に刃物が刺さったみたいにグサリと痛みが彼女にやってくる。そう、キスをしてしまった。昨日の夜。自分からはそんな勇気出ないと諦めたところに、彼の顔が振ってきた。ゼロの距離で吐息を感じて、全てを享受してしまった。ねろりと割り入ってくる彼の舌はとても熱くて、その触れ方はとてもやさしかったのに、息継ぎを許さないような凶暴なキスだった。「ね、こんなことされちゃいますから」といった彼の顔は、押し倒された時に浮かべていたあの嗜虐性に満ちたそれと一緒で、もうなにがなんだか分からないほどに心をかき乱されてしまった。

「どうした?顔が赤いぞ?」
「ほんとだ。熱か?」
「・・・な、なんでもないです」

思い出すんじゃなかった、と思った頃には時既に遅く、は紅に染まった顔を元に戻そうとぶんぶんと頭を振った。そんな彼女を二人が疑問符を浮かべて眺めている。
とはいえ取引を壊すためにやってきたというのなら、事前に細かいリサーチぐらいしてくるだろう。だからその線も考えづらい。

(・・・うそ、だったのかな)

彼の笑顔も、彼の言葉も、あのキスも。
すべてがそうならとんだ恥を晒してしまったことになる。ドキドキしそうになるとか馬鹿みたいなことを言って、あれを心の中で笑われていたら。女を転がすのなんて簡単なんだよ、って、計算通り動いてくれてありがとうって思っていたら。

(・・・彼は警察の介入を知っていたの?それとも知らなかったの?)

欺瞞と醜悪に満ちた世界に牙を向きたい。あの言葉を信じてみたいと思ったのに、と目頭が熱くなるのを感じながら、彼女はゆっくり瞼を閉じた。

「頭振って寝ましたよこの人、いつもこんな感じなんですか?」
「そう言うな。これでも俺の可愛い部下だ」
「・・・お二人さん、起きてますけど」

にじろりと睨まれたオリバーが「うっ」と肩を縮こませる。また何を言われるか分かったものじゃないと早々に彼女をおだてようとした時、ルディの携帯が鳴った。ワンコール以内に応答する姿を二人が黙って見つめている。話の内容からしてニュースに流すコメントだろう。地元警察が動き出したとあればマスメディアも当然追ってくるに違いないからだ。
通話が終わると、ルディは哀愁に満ちた眼差しで二人の顔をそれぞれじっと注視する。そして目を伏せて小さく首を横に振った。

「残念だ。現場で二人も殉職者を出してしまうなんて」

彼は胸に手を当てて、ぐすん、と鼻を啜った。水気も全くない乾いた音だった。

「ルディさん、殉職って言ったら私たちが警察官なのバレちゃいますよ・・・」
「記者会見ってあるんですか?大丈夫ですか?俺心配になってきましたよ」

数秒の沈黙ののちに、ルディの右目だけが開かれた。その顔がなんだかおもしろい、と二人からくつくつと笑い声が上がる。

「・・・安心しろ。記者会見は元から開かん。余計な情報を下ろす訳にはいかないからな」
「どちらにしても俺は組織にはもう戻れないので、詮索されても困るし死んだことにしてもらえて嬉しいですよ」
「は〜あこの年で汚名にまみれて死んでいくなんて、分かっててもなんかグサっときますね」




*



ミュンヘン中央駅を知らせるアナウンスが車内に鳴り響いた。すっかり暗くなった窓の外を眺めながら、ベルモットは大きくため息を吐く。窓に映る彼女の表情はどこか険しい。車両内の全員が降車したところで、彼女も席を立ち上がって乗り換えのために歩き出した。

(・・・内通者でもいないと、あの統率の取れた動きはできない)

ヘルックとの取引後に彼らを一掃するためにスコープの付いたスナイパーライフルに手をかけた時、警察が乗り込んできた。イーゲルの話では、ヘルックは黒の組織と手を組む振りをして寝首を掻くとのことから、ヘルックに警察関連への内通者がいたと見るのは決して間違いではないはずだ。現場付近に待機していたリースリングからの情報では、銃撃戦が繰り広げられていた中、ヘルックの一人が秘密裏に警察に保護されたのを見たという。やはりそういうことなのだろう。警察は最初からこの取引に目をつけていたのだ。

(ジンの読みは正しかったということね、また何を言われるやら)

食えない男だが実力は嘘ではない。念には念を入れないとな、と任務に出る前にジンに言われたのは、ヘルックの方は事前に得た情報から警察介入の可能性があるということだった。話半分に来てしまったが、先ほど起きたことこそが真実。それが全てだ。
ただイーゲルの方は内通者がいることも、警察の介入があるかもしれないということも不鮮明だった。だから探り屋のバーボンが呼ばれた。それが彼が呼ばれた半分の理由。もう半分の理由はイーゲルの所有する工場の在り処を見つけるためだが、深追いする必要もないのでそれはやんわりとしかベルモットに伝えられていない。
しかし確実な情報がないからこそ、ジンはこうも言っていた。自分たちをだしに裏でこそこそやられるのは見過ごせない、と。組織にとってそういう余計な存在を出さないために、自分たち組織に関わるというのがどういうことなのか見せしめにしろ、と。それをベルモットは当初バーボンに伝えるつもりだったのだが、どうも彼の勝手な動きが気になってしまって憚られた。お互い秘密主義者であり探り屋でもあるから大して気にはしていなかったが、それにしても彼からの報告が少なかったのだ。あの組織一の切れ者が心を絆されはしないにしても、ガイドの女とやらに少し傾いているのでは、と女の勘が言っていた。とはいえヘルックの一員の暗殺のために自分はミュンヘンを離れねばならないし、だからといってバーボンは遠距離射撃の名手というわけでもない。どちらかといえば武闘派であり射撃も近距離タイプだ。

(まあ、イーゲルはあれぐらいでいいわね)

命令口調ではあったが、ジンの全てに従順になる必要もない。見せしめにするほどのものでもないと判断したベルモットは、どうせ渡すデータも偽物なことだし、と自分たちが手を下すまでもないと地元警察に情報をリークしたのだ。現場にいる構成員には、イーゲルから受け取ったデータをパソコンから転送するように直前に指示をすれば、あとはコードネームもないような末端の科学者が死ぬぐらい問題はないのだから、と。

(さあ、どんな顔をしてるのかしら?バーボンは)









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