観光で栄える側とは反対の、中央駅から遠く離れたところにある人気のない裏路地を越えて出てきたのは、もう何年も使われていない倉庫街だった。立ち入り禁止区域にもなっていることから、一般人はまず入ってこない。入り口は鉄格子のドアで閉められ監視カメラがついているが、そのワンブロック手前を曲がって道を進むと、誰でもどうぞ状態の裏口が開きっぱなしになっている。おそらく正門と思われる入り口のカメラももう機能していないのだろう。
バーボンは明日の取引で使う八番倉庫で、もう数時間も前からそこで作業をしていたオリバーと落ち合った。彼は既に作業を終えて一服していたところで、バーボンの姿を見止め腕を上げてサインを送っている。吐き出される煙が西日に晒されていて、近くへ寄ると、メンソールの匂いがバーボンの鼻腔を掠めた。するとオリバーは煙草をその場に捨てて足先で火を消し、「やあ」と言った。この国では煙草のポイ捨ても歩き煙草も極一般的で、もちろんレストランなど室内禁煙には口うるさいが、外で吸う分には喫煙者からしたら日本よりも天国に違いない。くしゃくしゃになった吸殻を一瞥してから、バーボンは「お待たせしました」とすまなそうに笑った。
オリバーの案内に従ってバーボンも倉庫の中に入っていく。もう使われていないそこは埃臭かった。入り口に差す日の光がカーテンのように室内を照らしていて、やはり土だか埃だかが舞っているのが見て取れる、あまり長時間は中にいたいと思えない場所だった。壁際には最早使い物にならない穀物の袋や空のダンボールが堆く積まれていて、それらの殆どが酸化してボロボロになっている。なんとか形を保っているという風で、ダンボールの多くは側面が破れていたし、穀物の袋は穴が開いて中身が床に散乱していた。
そんな倉庫の中央は八畳ほどの広さがあった。倉庫の中は電気が通っていないため、簡易照明を持ち込んでいる。電源を接続すると眩しいぐらいにLEDが輝いた。成人男性の頭ほどの高さにある穴の開いたダンボールの中にはバーボンが遠くから取引を監視するためのカメラもが取り付けられていて、その全ての作業を一人でこなしたオリバーに詫びを入れると、彼は飛行機で到着が遅れたことの詫びだ、と笑って返事していた。
その後二人は倉庫の向かい側、およそ五百メートルほど離れたところにある廃墟ビルに向かった。そこはバーボンが監視に使う拠点だった。パソコンを立ち上げてとあるプログラムを開くと、そこに倉庫の様子が映し出される。四箇所に付けられたカメラから、ほぼ全方位が確認できた。角度も問題はないようだ。次にバーボンは双眼鏡を取り出して、八番倉庫の入り口ならびに裏口を結ぶ通路を眺めた。視界は良好で、明日も天気は晴れであることから問題はないと判断する。イーゲル側も何か仕掛けをしてくるかもしれない、ということを考えるとカメラの回収も含めて(実はそこには内臓データを壊す小型爆弾も一緒にセットしてあり、緊急事態が発生したならばこれを作動させるが、そうでなければ回収する予定で、正面口や他の倉庫にも取り付けられているカメラと型番が一緒のため、最悪別日にでも回収すればいい)そんなに多くのものをここには用意できない。だがイーゲルとの取引では暗殺など視覚にとって重要なものはさして必要ではないため、この装備で充分だった。
設備を全て確認してから、バーボンはオリバーが事前に手配していた車に乗り込んだ。鍵を差し込むと重たげなエンジン音が鳴り響く。なんとも燃費の悪そうな車だ、と思いながら、先ほど彼に送ったデータの翻訳について問い質す。オリバーは「俺たちとは直接関係がなかった」と何食わぬ顔で言ったが、心の中は騒々しかった。それも仕方ない。何せ連邦警察から聞いていた予定と違うことが起きていたのだから。

(リーダーとは何をしようとしている?)

今回の特別チームのトップであるルディがその部下と会うことは何ら問題のないことだが、任務実行期間であるこの三日間内に、チームメイトに連絡無しに二人で会う意味が分からなかった。話の内容からしてドミニクというが行動を共にしている幹部と関連があるのは分かる。しかし彼らの意図が読めない。

(・・・待てよ、昨日の夜何かもめていたな)

ドミニクととクラウス・ライヒェンベルガー。クラウスの所属は分からないが、成り行きから言ってその三者を結ぶものはほぼイーゲルと見ていいだろう。は荒ぶるドミニクに言っていた。何かまずいことがあるとバラしているようなものだと。それはつまりドミニクがクラウスに何かしたということを意味しているのではないか。犬になるか海に沈むかと言い返した彼女の反応からしても、彼女がドミニクに対して持っているのは忠誠ではなく敵意だ。となるととクラウスは深い親交を持っていると推測できる。そこから導き出せる答えは―…。

(私怨か)

細かい目で見れば何パターンも理由は思いつくが、大まかに分類すれば考えられるケースは二つ。一つはクラウスがイーゲルの構成員または潜入捜査官だった場合。プライベートで仲が良く、その恨みを晴らすため。もう一つはが警察あるいは実際は警察ではなくイーゲルの構成員の場合。クラウスの仇を取るために、組織に恨みを持ち、警察に情報を売ることで復讐を果たそうとしている。そんなところだろう。
どちらにせよ組織を潰すという目的は変わらないが、だからといって事前に連絡されていないことをされるのは非常に困る。もちろん共同チームといえど元は連邦警察と連邦情報局だ、明かしたくない情報があるのは分かるが、ならば尾行や予定外の盗聴には気をつけて欲しいものだ、とオリバーは思った。なにせ自分と行動を共にしているのは組織一の切れ者と名高いバーボンで、どんな些細なところから事態を見抜かれる分かったものではないのだから。

「構わないですよ。会話の内容を教えてください」

ボイスデータ自体彼が所持していることから、昨晩同様オリバーに嘘を吐くことはできない。この場は凌げたとしても、その後が心配だ。コードネームを与えられていない構成員とはいえど、裏切り者だと見つかってしまえば、身の回りのあらゆる物品を調べ上げられてしまう。そうして万が一にでもリースリングのことが知れてしまったらBNDとしてはひとたまりもない。それだけは避けねばならない事態だ。
幸いルディとはお互いの身分については何も言及していない。だから組織の内部抗争という線で上手く片付けられるだろう。しかし同時に問題もある。は言ったのだ。間違いなく黒の組織に聞かれている、と。昨晩の盗聴器に彼女は気が付いていないフリをすることで、ドミニクとのイーゲル関連の情報や今日の行動予定を自然にオリバーに伝えるようになっていた。寝ている間にバーボンに持ち物を探られるかもしれないという心配があったからだ。だからこの発言が彼女から出てくること自体が不自然であり、彼女が盗聴器を仕掛けられていることを知っていた場合、バーボンは何故その必要があったのかを考えるだろう。となるとこの一言は彼に伝えてはならない。他の部分を忠実に訳すことで、ここの一言への注意を逸らさなくてはならない。オリバーは慎重に言葉を選んだ。

「明日の取引にはイーゲルのナンバーツーが来ると言っていて、それから今日の夜の九時に女のいるホテルのバーで何かが起こるらしい。その後で昨晩彼女が送ったメールについて謝罪しているが、黒の組織とは全く関係がないから構わないと男が言っている。続いてその男が日本への連絡はと聞くと彼女が事後報告かルディからしてほしいと、あとは・・・パン袋の中身はルームキーと車らしい。それだけだな」
「・・・そうか」

ハンドルを握りながらオリバーは助手席の男を盗み見た。彼は眉間に皺を寄せて、眼光鋭くダッシュボードを凝視している。その頭の中はフル回転なのだろう。

(まあでも、黒の組織が関係ないというなら、あまり問題はないのかもしれんが)

バーボンと行動してるから考えすぎてしまう節があるのかもしれない、と今一度落ち着こうとオリバーは肩の力を抜いた。盗聴器の件にしたって、服を脱いでハンガーにかける時にでも気付けるものだし、それを考えればの発言もなんらおかしくはない。おそらくルディは極秘にと別任務を進めることを前提に今回のチームでの行動を組んでいるはずだ。となれば最悪の事態も予想して動いているだろう。ならば変に気を使ってあれやこれやと余計な一言を言う方が間抜けというものだ。

「オリバー」
「どうした」
は明日来ると思うか?」

オリバーは答えあぐねた。バーボンがどんな答えを期待しているかが分からなかったからだ。それに普段敬語の彼が今それをしなかった。ひとり言の意も含まれているのだろう。特段自分の意見が重要とも思えず、オリバーは無難に答える。

「・・・わからんな」
「もめごとなのは分かるが・・・ふむ」

黙ってしまったバーボンが再び口を開いたのは車が五キロほどすすんでからだった。

「一度ホテルに戻って、そのあとマンダリンオリエンタルに向かってくれますか」
「・・・バーとやらに行くのか?なら俺も」
「いや、オリバーは明日に備えてゆっくりしてください。それに、ドミニクとの顔を知っているのは僕だけなので、一人の方が動きやすい」

実は自分も知っている、とは口が裂けても言えないオリバーは、それ以上何も提案することができなかった。現場に着いていって無意識の内にドミニクとを認識してしまうというボロも出し兼ねない。彼の言う通り部屋に戻って待機しているのが得策だろう。

「・・・そうか、車が必要になったらいつでも言ってくれ」
「ええ、ありがとうございます」




*




それなりのランクのホテルのバーとあればラフな格好は避けるべきだろう、とバーボンは部屋に置いてあったワイシャツとベストを着込み、タイブローチを緩まぬようにしっかりと締め上げる。気温からして上着はいらないだろうと着替えを済ませると、キャスケット帽を取って再びオリバーの車に乗り込んで目的地へと向かった。
広く豪奢なシャンデリアの光に包まれたロビーには多くの人々がいた。羽休めにソファで座っている者もいれば、待ち合わせかなにかだろうか、時計をちらちらと気にしながら立っている者もいる。中央に設置された螺旋階段からは小さな子供がはしゃぎながら駆け下りていて、そのうしろから両親だろう二人もドレスアップした姿で現れた。内部はいかにも中流階級以上といった雰囲気で、多くのベルスタッフが歩いていて、レセプションには常時五人のスタッフが座っている。
時刻は八時を過ぎたところで、正面玄関が見えるか見えないかの際どいソファに座って、バーボンは新聞に目を通す振りをしながら辺りの様子を窺っていた。こうした外国では彼の髪色は、多くの人に混ざっても全く違和感がないのだから、非常に都合が良かった。

(しかしオリバーのところで変装を解いたのは失策だったな)

元々簡易的な変装道具だったため(そのクオリティはベルモットが用意したのだから完璧とはいえ)、長時間変装するのには向いていない。だからオリバーの前でマスクを取ってしまったが、ここで下見を終わらせるまでは取らない方が良かった、と彼は心の中で自身の行いを悔やんだ。そのことから慎重に裏口の確認も済ませたが、まだ特に不審な車などはなく、平穏無事な様子からしても動きがあるならばこれからだろうと予想がいく。レセプションでバーの場所を聞いて顔を覚えられるわけにもいかないので、事前にネットで調べたところ、どうやら一階―日本で言うところの二階―の奥にあるらしい。また随分低いところにある、と他のホテルも検索してみたが、超ハイグレード且つ高層ビルでもない限り、地上階や一階にあるのは一般的のようだ。そのバーにも注意を払って行ってみると、「closed」の立て札が置かれていた。ドアのどこかに盗聴器を仕掛けようかと思ったが、中に人気がないということは、まだここが手付かずだからに違いない。あとあと来るだろう人間に調べられたら面倒が増えることを考えると、今何か手を加えるのは憚られた。
「closed」から分かるのは、ドミニクが、またはが貸切にしたということ。おそらく後者だろう。人払いしてでも話がしたいのなら昨晩のようにドミニクの部屋で話をすればいい。しかしそれをしなかったのはが最初に呼び出したから。おそらく、中央駅でが話をしていた相手との計画だろう。
だが分からないのはその相手のことだった。取引でナンバーツーも来る、ということに何の動揺も見せなかったのは、そのルディと呼ばれた男がそれ以上の地位にいるからなのだろうか。

(・・・彼女に何かあったら情報が全てボスに行くと言っていた)

もしかして。一筋の光がバーボンの脳裏を走り去る。

(ルディというのは、ボスのことか・・・?)

はドミニクに言っていた。彼と同行するのとは別に、組織の任務で動いていると。その任務を与えたのがボスだったら?そう考えれば彼女に危害が加わった時に情報が流れるというのも自然だ。だがイーゲルのボスに可愛がられているのだとしたら、何故彼女は自分が近い将来死んでしまうと思っているのだろう。仮に黒の組織が彼女に手を下すことに決めたとしても、犯罪組織を束ねるトップの権力があればいくらでも逃げれられるだろうに。

(だめだ、完全にしっくりはこない)

それに日本への連絡とはどういうことだろう。イーゲルにはアジアの拠点もあるからか?となると留学時代から彼女はイーゲルに属していたのだろうか。そうして日本に帰ると共にアジア拠点にも顔を出すようになったとすれば、アジアとヨーロッパのパイプ役としては充分価値も見出せる。

(・・・クラウスはイーゲルのメンバーと考えるのが妥当か)

は友達の死の真相を知るために組織に入ったと言った。その友達をクラウスと仮定すると、彼は彼女と出会った時に既に組織の一員だったに違いない。それで何かがあって彼はドミニクに始末されてしまった。その真相を知るために彼女が組織を追った。そう考えればドミニクとの間にある不穏なものの説明がつく。

(・・・あれは)

十五分ほど経っただろうか、入り口からスーツ姿の男たちが数人やってきた。そこはかとなく漂う物々しい雰囲気に、バーボンは目を見張った。彼らはレセプションにてしばし話し込むと、踵を返して中央の螺旋階段を上っていった。螺旋階段は地上階と一階を結ぶためだけのもので、それよりも上に行くならばエレベーターを使うことから、彼らが一階に用があることがわかる。
それから五分後、また男が入って来た。先ほどの男たちの雰囲気と違って、今度はだいぶ若い。ワックスでオールバックに固めている。その彼も階段を上っていく。それからあとも続いて何人かやってきた。私服の者もいればスーツ姿の者もいて、中にはドレスアップした女性もいたが、おそらく一様に皆関係者だろう。最小限の動きではあるが視線が一度は辺りに配られているし、他の者同様に階段を上っていったからだ。

「・・・!」

数分もしないうちにやってきたのは、中央駅でが会話をしていた男、ルディだった。先ほどは目深に帽子を被っていたが、その顔をバーボンははっきりと覚えている。値段の張りそうな質の良いスーツを身に纏っているが顔の割に体が大きく見える。おそらく防弾ベストだと推測が行く。となれば銃もどこかに仕込んでいるのだろう。男の顔にはもう何年も前のであろうケロイドになった傷跡があって、その傷が物々しい威厳を放っている印象を受ける。一グループのボスと言われればそう思えなくもない。

(エレベーター・・・のところにいくのか?)

男はエレベーターのドアが開くと、ホテルマンに一言二言声をかけて、彼を外へと追い出してから乗り込んだ。階数を示す電光板は近くまで寄らないと目にすることができなかったが、見るまでもないだろうとバーボンは動かない。ふむ、と再び正面玄関に意識を集中させてること二十分。その間は特に変わった気配は感じない。
ふと携帯が振動していることに気が付いた。ポケット取り出すと、オリバーからメッセージが来ていた。このホテルまで送ってもらったあと、念のためと九時近くまで付近の周回を頼んでいたのだ。メールには「裏側に三台怪しい車両がいる」とあった。礼とホテルで休むよう返事を送り終えて、再び外に注意を向ける。心なしかロビーに座る人々の数が減ってきたように思う。時計を見ると時刻はもうあと三分で九時というところだった。ドミニクももしかしたら部屋にいて直接バーに向かうのかもしれない、とバーボンが思ったその時だった、正面口から見覚えのある男が入って来たのは。

(ドミニク・・・!)

ツーブロックで刈り上げ部分に入る斜めの十字マーク、堀の深い目元、高い鷲鼻にピアス。顔合わせの時に目にした彼の姿そのものだ。彼は小さめのジュラルミンケースを手に持っている。その後ろにはチンピラ風情の柄の悪い男を一人連れていて、レセプションに何か声をかけた後にドミニクは連れを置いて階段を上って行った。

(もしかして、は、ドミニクのことを・・・)










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