「いた、奴だ」

発信機の情報を元に行き着いた先、ミッドタウン。スペードがトレードマークの世界的携帯会社の壁を背に立つジミーを発見した降谷との二人は、十分に距離を取ったところから彼の様子を見張っていた。

「誰かを待ってそうですね」
「ああ」

手元の携帯を見ているようだが、鍔から覗く堀の深い目がちらちらと動いている。辺りに散りばめられたジミーの意識の先を一つ一つ確かめる降谷の視線もまた鋭くなっていく。その瞳はまさしく情報収集に長けた探り屋のそれだった。
信号が変わり止まっていた人々が一斉に動き出した瞬間、彼は「あいつだ」と低い声で呟いた。それが誰のことかにはまだ理解できていなかったがここで声を出しては邪魔になる、と静かに辺りを観察する。すると一人の白髪交じりの男が、ポケットに手を突っ込みながら猫背でジミーの元に歩いていくのが見てとれた。よくよく注意して見れば怪しげな雰囲気もあるが、雑多な人々にまみれてしまえばなんてことはないただの人だ。それを瞬時に見抜いた降谷の感覚のなんと浮世離れしたことか。
猫背の男は一度辺りを訝し気に見渡してからジミーと握手をする。その瞬間を降谷はシャッター音の鳴らないカメラアプリで写真に収めると、二人は何を話すでもなく別々の方向へと別れていった。

「何か渡したな」

撮ったばかりの写真を二本指で拡大してみるが、写っていたのは二人の男が握手を交わした姿だけ。手のひらに隠れるものといえばジミーの家に大量にあったUSBスティックだが、あの不自然な連絡フォームを思えばおそらく渡しているのは中身が別の何かだろう。

「ジミーじゃない方、私追いかけましょうか?」
「いや、時間が足りん。奴のみに的を絞った方が良い。さ、行こう」

観光客がごった返すこのエリアでの尾行はまずバレないだろうが念には念を、ジミーを見失わない程度の距離を適度に保ちながら追いかける。
道なりに進んでいくと五番アベニューらしい高級ブランドショップがあちこちに顔を出した。いわゆる五番街の名で有名なここは世界一の高級ショッピング街だ。近年ではファストファッションが顔を出しつつあるが、それでもラグジュアリーな雰囲気に辺り一帯が包み込まれているのは変わらない。店の前にセキュリティとしてドアマンが立つ敷居の高そうなところもあれば、カジュアルな恰好で十分なところもあり、道行く人たちのそれぞれが思い思いに店に寄ってはショッピングバッグを肩から下げて満面の笑みを浮かべていた。

「お、この靴良いな。デニムでもチノパンでも良さそうだ」
「今日の洋服にもピッタリですよ」
「本当に?」

こくりとが首を縦に振る。最近は仕事詰めで買い物を楽しむ余裕がなかったから、ここで何か買っていくのも良いかもしれない。そんなことを思えば隣から、「降谷さんはスタイル良いからマネキンより着こなしそうですね」と呟きが聞こえてくる。「この上着なんかどうですか?」と続く声に満更でもなさそうにショーウィンドウを覗き込めば、頬が緩んだ己の顔とぶつかった。

「普段どんなお店でお買い物を?」
「色々だな、スーツなんかはこういうところだし、普段着は安物もあれば古着屋を回ったりもするし」

これまでに見た降谷の私服の数々をは脳裏に描き出す。フォーマルな姿もカジュアルな姿も。そのどれもが似合っていた。今日だってそうだ。胸元にのみボーダーラインが数本入ったセーターを着て、その上に襟元が黒のボア生地でできた、これまた全体が黒のスタジャンを羽織っている。

「お洒落ですよねえ降谷さんって」

楽しげに零れる声に降谷がゆっくりと目をしばたたかせる。照れくさいにもほどがある。そんなに褒めてどうしたいんだ、と。
ふふ、と降谷とガラスを見比べるの様子はどこか弾んでいた。

「あ、フサエブランド!」
「女子はほんと好きだな、ここ」

ベルモットもお熱のようだし、と降谷の瞳がショーウィンドウを右から左へまじまじと動いていく。いつだったか季節ものの先行販売には、米花にある店舗に信じられないほどの行列ができてニュースになったぐらいだ。
フサエブランドといえば手ごろなものから簡単には手が出せない価格のものまであるが、ここにあるのはどうやら後者のようで、ライトに照らされた装飾品の数々はひと際きらきらと輝いていた。

「イチョウがすごく可愛いんですよ、シンプルだけど品があるというか」
「お、これなんか似合うんじゃないか?」

これ、と指さされた方を見ると、そこに飾られていたのは四センチほどの幅のあるゴールドのブレスレットだった。アラベスクを基調にところどころに小ぶりのイチョウのモチーフが宝石付きではめ込まれている。

「可愛い〜!でも私にはちょっとギラギラしすぎのような」
「今の恰好ならこのぐらいの方が映えて良いと思うけどな。普段のスーツなら断然そっちの華奢なやつ」
「かっかわいい・・・、早く昇進したいです」
「まずは後輩ができないとな」
「うっ」

の月給ではこの店にあるものはどれも夢のまた夢だった。一体いつになったらあの部署に人がやってくるのだろうと彼女はよく思う。毎年警察庁に採用される新卒は十数人程度というし、数えきれないほど多くの部署があることを考えれば、このまま何年も彼女が一番下の可能性は大いにある。
通常業務の他に雑務に埋もれる毎日では昇進どころの話ではない。一人で暮らしていくのに困りはしないものの、欲しいものを欲しいと思った時に決断できるだけの貯金ぐらいは欲しいというものだ。
もちろんどうしてもブランド物が良いという訳ではないが、人並みに興味はある。仕事柄装飾品は最低限に抑えなければならないとはいえ、休日の楽しみを夢見るぐらいには彼女とて乙女だ。とはいえその休日も中々貰えはしないし、貰えたところでわざわざ高いものを身に付けて出かける相手もいない。家でコレクションと化すのを思えば、普段使う鞄や手帳に金銭を割き、長く使えるものを手にする方が現実的と言えば現実的だった。

「ああでもこっちも良いんじゃないか」
「降谷さんゼロの位置よーく見てくださいね。切なくなるから夢のない話はやめましょう」
「何言ってる、夢があるから楽しいんだよ」

それってどういう意味ですか、とは聞きたかった。けれどその言葉がどうにも口から出ていかない。代わりに降谷が口を開く。「あっち、ジミーが誰かと接触している」、と。
言われた方を振り向けば、ジミーは若い女と会っていた。先程の男とは違い今度はやけに会話が弾んでいそうな様子だ。女の方もにこやかで、一見してどこにでもいそうな元気な女子大生に見えなくもない。そんな彼女はジミーから握手形式で何かを受け取るや否や、嬉しそうにその場を後にした。
写真とビデオの両方にやりとりを収めた降谷がカメラロールから確認を始める。取引に使われていたのはやはりUSBだった。さらにそれらを通して明らかになったのは、ジミーのみが一方的に渡していたのではなく、女の方からも同じくUSBが渡されていたということだった。

「おそらく奴の家で俺たちが見ていたUSBとの交換だろうな」
「この女の人やけに嬉しそうですね」
「ああ、中身は一体なんなんだ」

携帯で何かを確認していたジミーがくるりと踵を返した。視界の隅で動いたハンチング帽を降谷はいち早く捉える。

、ほらこっち」
「わ」

骨ばった男らしい手がの腕を引いた。今いる方とは反対側の人の流れに紛れて、近くのショーウィンドウを見るフリをする。ガラス越しに通り過ぎるジミーの姿に、自分たちを気にする素振りがないことを確認しながら、二人は男が向かっていく方向を確かめた。その間も彼女の腕は掴まれたままだ。上着越しでははっきりとした温かさが分かるものではなかったが、そこはかとなく意識が積もる。

「あっ、ここティファミーですね」
「デニッシュでも買って食べるか」
「ふふ、ついでにムーン・リバーも歌ってください」
「どう考えても歌うのは君だろ」

気持ちの焦りを気取られないよう話をすることも、降谷の手が離れたのをさも意識していないといった風でいることも。なんてこともなしにやってのけてしまえるのに。ただ視線だけは合わせられなかった。組織の命令で動いている探偵の瞳に、何もかもを見透かされてしまいそうで。

(困ったなあ・・・浮かれてる、私)

組織絡みで動いているはずなのに。どこか楽しんでしまっている自分もいる。まるでデートそのものだ、と波打つ心を静めながら道を進めば、突如として大きな建物が見えてきたのだった。









「おいおい、大聖堂の中でまで取引するのか」
「罰が当たりそうですね・・・」

ロックフェラーセンターを背にファサードを構えるセントパトリック大聖堂。わざわざセキュリティチェックを超えてまで取引をするだなんて大胆な奴だと思いながらも、渡すものがUSBとあっては危険物には入らないのだろう。それに武器の有無も互いに分かって都合が良いのかもしれない。とはいえチェックと言っても鞄の中を目で確認するだけの簡単なもので、その気になれば正直銃でもナイフでも持ち込むのは容易だろうが。
白の大理石をふんだんに使用したネオゴシック様式の豪奢な作りの内部。中ほどにある椅子に座ったジミーの数列後部に降谷とも腰を下ろす。深い海の青のようなバラ窓が印象的な空間の中行われた取引を写真に収めると、なにやら話し声が聞こえてきた。

「なあ、これ本当に問題ないんだろうな」
「お前が求めてるレベルのものはこれなら十分だ。不満なら金次第で上のクラスに変えてやるからまずはそいつで試してみな」

ごそごそと籠った声だが確かにそんな会話だった。ジミーと話していた男は少々渋った声で唸るものの、急いでいるのかすぐさまその場からいなくなってしまう。やれやれ、とため息交じりの独り言ののちに彼もポケットに手を突っ込み立ち上がる。二人に気付く気配は微塵も見られない。同様に彼もすたすたと立ち去って行った。

「取引の商品は一つだけじゃないのか」
「USBで済むものでいくつかランク分けがありそうなもの・・・」
「まだ中身にたどり着くのは難しそうだな」
「ですね」









エントランスに入ってすぐに現れたのは巨大恐竜の骨格標本だった。多くの人々を食い尽くさん勢いで見下ろすそれは非常に迫力がある。古代の生物に大人も子供も夢中になる中、尾の方にいるジミーの様子を降谷とは頭の方から窺っていた。

「自然史博物館ってわくわくしないか?」
「男の子の好きなものぎゅっと集めたって感じですよね」

「この恐竜夜になったら動きそう」、とがつぶやく。「展示品を盗みに来るやつを懲らしめるんだな、きっと」と降谷は笑った。夜の美術館とは別に、玩具やぬいぐるみが暗くなると動き出す歌のことをぼんやりと頭の隅に浮かべていると、彼の視界にこちらにやってくるハンチング帽が飛び込んでくる。取引相手が二人の側から現れたらしい。降谷はすぐさま携帯を取り出しての名を呼んだ。

「はい、チーズ」
「え?あっ」

そっと肩を寄せられて。あたかも恐竜と記念撮影をするカップルのように。咄嗟のことに顔を作る余裕がなかったは口をぽかんとあけたままで、その間抜け面に隣からくつくつと笑い声が漏れる。これはこれで良いな、と体勢はそのままに再び顔を作るフリをして、今度はカメラを切り替えてジミーを収めたのだった。









「あれ?なんでこの建物人だかりができてるんでしょう」
「ああ、ここはほら、あれだ、屋上でマシュマロ・マンと戦ったとこ」
「えーっと、町がマシュマロで埋め尽くされるっていう?」
「そうそう、倒したあとにな」

平凡な通りに現れた高層のアパートメント。周りの風景と同化していて一見観光地には見えないが、ファンの間では今でも有名な場所の一つで、多くの人が足を止めては、「ほらここ」と指差している。

「ちなみにブロードウェイを真っ直ぐ行くとスーパーマンに出てきたアパートがあるぞ」
「そうなんですか?ザ・ヒーローハウスですね!」
「ふ、なんだそれ」
「あはは」

人混みを掻き分けながらジミーが曲がった方へと向かっていくと、彼は地下鉄の駅へと降りて行った。アップタウン方面の車両にて、一両の間隔を取って陣取る。彼は二人に気付く様子もなくずっと携帯の画面に夢中だった。









「また五番街に戻ってきちゃいましたね」
「まるで動きが読めないな」
「あっでも反対方面」
「よし、行こう」

先程通った道とは反対方向に歩き出すこと五分。アメリカン・ルネサンスとも呼ばれるボザール様式の立派な建物が姿を現した。太く直線的な円柱と円柱の間を通って建物に入ると、そこにはとても広々としていて、大理石でできた壁一面には整然と並べられた本棚があった。ポピーレッドやアンティークゴールド、スレートグリーンにモスグレイなど色とりどりの背表紙が目に新しい。天井に描かれた荘厳な絵画の下には何列もの長机が置かれていた。降谷は通りがかりの本棚から適当に数冊、背表紙を見もせずに選び出して、ジミーの座った席から数列開けたところにと腰を下ろす。

「あの・・・降谷さん、適当に取ったにもほどがあります」

彼にだけ届く、息だけで喋るような小声。「え?」と降谷が本の表紙に視線を落とした。刹那視界に入る、「妊娠とセックス」、「勃起力に悩むあなたへ」、「不妊治療のススメとキケン」の文字列。まさかそういう類の本を選んでいたなんて露とも気付かなかったと冷や汗が垂れる。

「・・・すまない」
「セクハラされましたって風見さんに言おうかな・・・」
「な、勃起の本もあるだろ」
「ちょ、口にしちゃだめですよ」
「・・・勃起?」
「だめですだめ!」









「わ、ここ世界最大規模の美術館なんですって」
「最低三日はないと見るのは大変そうだ」
「ゆっくりじっくり美術館巡りも良いですね。あ、ジミーがショップに入っていきますよ」

通称メットと呼ばれるここメトロポリタン美術館一階にあるミュージアムショップ。その売り場もとても広く、多岐に渡った商品が陳列されている。粗方館内を堪能してきたのだろう客たちが、商品を見てあれやこれやと話に花を咲かせる中、ジミーは「当館名物キャラクター」と書かれたカバのウィリアムのブースで商品を見るフリをしながら、隣にやってきた男にUSBを手渡していた。
その場を写真に収めてすぐに降谷とは店を出ようとしたが、いかんせん大勢の客の波に中々足が前に進まない。しかしジミーはどんどん近付いてくる。このままでは出口までスペースができるのを隣で一緒に待つことになるかもしれない。は近くにあったサングラス―縁の上にラメ付きのレインボーカラーで、”Happy Summer”と書かれたプレートが飾られている―を二つ取り上げて、一つを降谷に手渡した。装着して、ジミーの動向を見守る。

「・・・行ったな」
「・・・行きましたね」

黒いレンズ越しにハンチング帽の男が通り過ぎていくのを確認して、二人はゆっくりと顔を見合わせた。互いの視界に映る滑稽な姿に同時にぷっと吹き出す。

「ふふ、浮かれた人みたいですね」
「最高に頭悪そうだ、よし、写真撮って風見に送ろう」
「風見さんのことほんと大好きですよねえ」
「それは妬いてると捉えても?」
「まさか。風見さんただでさえお疲れなんですから、こんな写真送ってないでお土産沢山買って帰りましょう」
「そうだな、重量制限ギリギリまで買ってくか」
「ほらもー大好きじゃないですか」









「ブルックリン・・・ですね」
「で、それをまたマンハッタンへまでと戻っていくと」
「いやあ体力ありますねあの人」
「まったくだ」

再び地下鉄に乗り込んで向かった先はダウンタウン方面、かと思いきや駅を出て少し歩いて出てきたのはブルックリン橋だった。どうやらすっかりマンハッタンを越えてしまったらしい。そんなここはマンハッタンとブルックリンを結ぶアメリカでもっとも古い吊り橋。二層に分かれた橋の上側は歩行者と自転車用で、下側は車道になっている。ゴシック風のデザインの橋から見えるのは、エンパイアステートビルやワールドトレードセンターを含んだ雄大なマンハッタンの街並み。下を流れるイースト川ではウォータータクシーが水面に泡を作り船体を揺らしていた。

「ここは頑丈ですけど、板張りってちょっとドキドキしません?」
「板が落ちるかもって?ああそういえば、子供の頃、一部分だけ板が抜けた吊り橋を渡ったことがあるよ」
「えー!すごく怖いじゃないですか!」
「はは。渡る前はこんなのへっちゃらだって強気なのに、いざその部分を前にすると足が竦んでしまってね」
「う、ちっちゃい頃の降谷さん絶対可愛い・・・」
「そこなのか」

それを言うなら子供時代の君も可愛いだろ、と降谷は呆れたように笑って目の前に広がるパノラマを眺め見た。
遠くの方にかすかに浮かぶ自由の女神のシルエット。立ち並ぶ摩天楼やビル群。この後日が暮れて、光に包まれる夜景はきっとまた素晴らしい景色なのだろうことが彼の脳裏に描かれていく。ふと顔を見上げれば橋を支えるいくつもの重厚な鉄鋼のワイヤー。何度も何度も人の手が加えられて、そうして百三十年以上も二つの街を繋いできた。その間、一体どれだけの人間が通ってきたのだろう。過去も現在も、歴史の一つ一つをこの橋はしかと見てきて、そしてこれからの未来も、この荘厳さでもって見守っていくのだ。長い歴史の中で自分たちはたったの数十分しかここにはいない。それでも時間の流れに入り込んだ気がしてしまった。

「おれのほうがはやい!」
「おれだってまけない!」

二人の後ろから、小さな子供がけらけらと笑って駆け抜けていく。手のひらに感じる、瞬間的に小さく起こり立った風のそよめき。

(そういえば、昔はいろんなところを駆けずり回ったっけ)

大人しいタイプでは決してなかった。遊んでも、喧嘩をしても、何をしても生傷を作ってはよく絆創膏を貼ってもらったっけ、先生に―…。

「あの子たちもいつか大人になったら、かけっこしたなあなんて、思い出すのかなあ・・・」
「ふふ、きっとそうだな」
「ねえ降谷さん」
「ん?」
「吊り橋の話、もっと聞きたいです」
「あとでの話も聞かせてくれよ」








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