予想外の出来事というのは、予想もしないところから事が生じるからそう言うのであって、決して普段から予感がある訳ではない、なんていうのは古今東西自明の理というやつだ。だからこそあのジンから連絡を受けたことが降谷を大層驚かせたのは言うまでもない。しかも蓋を開けてみれば組織からの命令ではなくジン個人からの依頼で、その内容もベルモットが何の取引をしたのか探れと言う。 なぜ自分がそれを引き受けねばならないのかとバーボンが不服そうに答えれば、ジンも同じく機嫌の悪そうな態度で答えた。「こっちも癪なんだよ」、と。声にこそ出さなかったが、お前なんかに頼むのがな、という続きがそこにあったに違いない。 車中とはいえウォッカが同席していたことから彼も内容は把握しているだろうし、ほぼほぼ組織からの命令と言っても良かっただろう。断ろうものなら容赦なく愛用のベレッタM1934を突きつけてくるのは目に見えている。組織の人間というのは気の短い奴ばかりでいけ好かない。 加えて彼の場合、ベルモットのこととなると往々にして態度が荒くなる。秘密主義である彼女をどこか毛嫌いしつつも、それだけではない事情がどこかにある気がすると踏むバーボンだったが、こういう時のこの男にあまり深入りはしたくないのが正直なところだった。 そんなベルモットは現在組織の命令でニューヨークにいる。知り合いのために舞台のチケットを取ったから行くとも言っており、その両方をこなす良い機会なのだろう。ジンが気にしていたのは、与えられた任務以外で彼女が何かコソコソしているというものだった。日本を発つ数日前に、ニューヨークに住むとある人間と何か取引をしたらしい。その上今回その土地に行こうとしているのだから、これは偶然などではないと嗅ぎつけた訳だ。 もちろん本来であればこの銀髪の男自らがアメリカに行く予定だったそうだが、あの方直々の別件命令でどうしても行けなくなってしまったと言う。普段は人の事情など全くもって顧みない冷徹な男を、唯一意のままにできるのが「あの方」だ。そんなあの方の命令に彼は恐ろしく従順だった。その姿は隅々まで調教された番犬のようであり、はたまたただひたすらに主のために目的の獲物を狙う狩人のようでもあり。まるで操り人形だ、と口が裂けても言えないことをバーボンはしばしば思う。 そうしてあれよあれよと用意されたチケットを持たされ、早朝が発った便から約九時間後の羽田発ジョン・F・ケネディ空港行きの便に乗せられてしまった。もともと翌日出発する身だったとはいえ、こうも急に予定を入れられるのには困ってしまう。なにせこういう時、庁舎での仕事の処理は全て風見が引き継いでいるのだから。降谷は飛行機に揺られながら、普段は中々言葉にはできないが面倒をかけ不憫な思いをさせているだろう部下に、帰国したら美味しいものをご馳走してやろうと心に決めたのだった。 「まったく。ホテルに行ってもまだチェックインしていないと言われるし、一体どこをほっつき歩いてるのかと思ったじゃないか」 「もしかして、私のこと探して・・・?」 「良い子で俺を待っているんじゃなかったのか?」 「わ〜ごめんなさい。電車が急に止まったり道に迷ったりしちゃって、あとモバイルWi-fiも使えなくて」 「・・・そうか、災難続きだったんだな。よしよしよく頑張った。ホテルのフロントに荷物を預けて食事に行こう」 今すぐにでもに事情を話さんとしていた降谷だったが、自分の知らないところで色々と苦労しつつも無事だった彼女の顔にホっとして、タイミングを失ってしまったらしい。さしあたって動かねばならないのは明日からだ。話なら食事をしながらすればいい。まずはホテルに辿り着くことが第一だと二人はすっかり暗くなった―無数のLEDの光でそれもあまり感じないが―ミッドタウンを歩き出す。 「降谷さん」 「ん?」 「ほんとにごめんなさい」 「違う。ごめんじゃなくて?」 「・・・ありがとう、ございました」 「君が無事で本当に良かった」 「・・・!」 くしゃりと笑ってみせた彼の顔があまりにも輝いて映るものだから、ふとは立ち止まってしまう。どうしよう。かっこいい。どうしよう。本物の彼がここにいる。はらはらと胸を揺らしせり上がってくる思いが体中を縦横無尽に駆け巡る。 その気持ちをまるで知らない降谷は歩みを止めてしまった彼女に、「どうした?」と声をかけた。けれども返ってきたのは油の足りないロボットのような動きで首を左右に振る仕草だけ。気にはなるが聞いたところできっと教えてはくれないのだろう。まあいいか、と辺りのネオンを反射させてきらきらと光る彼女の瞳を見つめながら、「さ、行こう」と再び歩を進めたのだった。 * 「君との時間を台無しにされたんだ、肉でも食わなきゃやってられない」 「まあまあ、使える時間を使って楽しみましょう」 「すまない、そう言ってもらえると助かるよ」 ウールワースビルのような摩天楼の並ぶ区画に、突如として現れるレンガ造りの建物。十九世紀の田園地帯を思わせるようなそれは、この辺りで有名な老舗ステーキハウスだった。店内に足を踏み入れるなり香る肉の焼ける匂いに、腹の虫を鳴らしながら二人は受付へと進んでいく。見たところ席は予約専用と通常来客のための二種類のようだが、入り口横の待合室は多くの人々でごった返していて、それだけここが人気の店であることが窺える。この人混みの中、席が空くのを待つのだろうかとが思ったのも束の間、店員と降谷が二三言葉を交わすとすぐに席へと案内された。一体いつの間に予約を取っていたのだろう。まったくもってどんな時でもスマートな男だ。 手渡されたメニューは至ってシンプルだった。ステーキ二人前、三人前、四人前の三つで人数によって組み合わせて注文していく。一方ドリンクは豊富な種類があるが、「肉との相性抜群!」と書かれたブルーポイント社のトーステットラガーがどうやら人気のようだった。醸造所が近いからか、はたまた契約を結んでいるからなのか他のビールと比べて手ごろな価格なのもそうさせる一因だろう。 「トーステットラガー二つとステーキ二人前で」 「付け合せはフレンチフライかオニオンリングのどちらが良いかしら?もちろん半々もできるわよ」 「それじゃあ半々で」 「オッケー、すぐにビール持ってくるわね」 ふと裏返したメニュー表には店の歴史とステーキについてが事細かに書かれていて、左から右に流れるの瞳が英字を疎らに拾っていく。それによれば提供されるステーキは全て熟成肉のポーターハウスらしい。ポーターハウスとはストリップとフィレ部分からなるT字型の骨付き肉のことで、フィレの部分が少ないとTボーンステーキになるとかかんとかいうところで彼女は読むのを諦める。「お肉楽しみですね」と嬉しそうに呟けば、降谷もいつになく浮かれた様子でにこにこと笑みを浮かべていた。 「はい、トーステットラガーよ。ステーキができるまでオニオンブレッド食べて待っててね」 差し出されたカゴに入っていたのは、こんがりときつね色に焼かれたテーブルロールサイズの、フライドオニオンを練りこんだパンだった。二人は早速「乾杯」とジョッキを軽く合わせて、魅惑的なアンバー色のビールに口を付ける。空きっ腹にアルコールは効くから、と数口だけだったに対し、降谷は喉仏を上下させながらぐびぐびと流し込んでいく。テレビで見るコマーシャルのように気持ちの良い飲みっぷりだ。 すっきりとした香りに、軽い口当たり。けれども後味にはしっかりとモルトの苦味が残って日本のビールとはまた異なるが後を引く美味しさがある。ぷはあ、と三分の一ほど飲み終えると、染み渡る、とでも言いたげな表情で彼はカゴに手を伸ばした。 「それで?クラウスの母親とは?」 「色々お話できました。会えて本当に良かったです」 「良かったな、ちゃんと話せて」 「はい。でもクラウスのお母さんったら、」 言いかけて、ふと口を噤む。ゴシップ好きの女子大生みたいなんですよ、なんて。つい言ってしまいそうになったが言える訳がなかった。あはは、と口を濁し慌ててもオニオンブレッドを口に放り込む。 「たら?」と続きを催促する降谷に、「お茶目なんですよ」と返すも、彼女が何かを隠したことに気が付かない彼ではない。 「今絶対違うこと言おうとしただろ」 「え?な、なんのことですかねえ」 「まーただんまりってやつか」 「う」 ついさっきもそうだったぞ、とジト目が飛んでくれば、これは逃がしてもらえないタイプの視線だと今までの経験が全身に警告を打ち鳴らす。 「話してた内容がですね、その」 「何を話したんだ、二人で」 「・・・怒りません?」 「怒るようなことを言ったのか?」 「その、降谷さんが・・・かっこいい話・・・」 「!」 両方の人差し指を合わせて、恥ずかしそうにもじもじと。確かに嘘は言っていない。 「・・・ほんと、君には驚かされるよ」 「はは、は」 飲みかけたビールで溺れるところだった、と降谷は軽く咳き込む。はあ、と呼吸を落ち着かせながら彼は思った。時々本当に無自覚なんだよなあ、と。いや、言い淀んだあたり完全に無自覚な訳ではないのだが。むしろだからこそタチが悪いというやつなのだ。 (・・・嫌われてない自信はあるが) 嫌な相手をこうして旅行に誘ったりはしないのだから少なくとも嫌われてはいない。だがそれを良いとばかりに少し距離を詰めれば逃げられてしまう。上司と部下の関係は超えている。それは確かな筈なのだ。 とはいえここから一歩先に進むには、どうしたって彼女の気持ちが必要だった。それは単に好きと好きが合わさることを意味しているのではなく、互いが互いを選ぶ覚悟があるのかという契りにも似た気持ちのことだ。まだ男女の仲になる段階なのに大袈裟だ、と人は思うのかもしれない。けれどそこには降谷が背負う多くの物が関係していた。 公安として生活に制限のある暮らしや潜入捜査員としての組織の顔。前者はも似たようなものだから問題にはならないが後者は違う。もっと細かく言えばその中には復讐者としての降谷零だって存在している。命の危険は特にそうだ。守ってやりたいと思えども、それが叶わないことだってあるかもしれない。気持ちだけでは足りないものが沢山ある。もしもノックであることがばれて身柄を拘束されてしまったら。関係者が次々と葬られてしまったら。自分と関わってしまったが故に命を失うことになってしまったら。そんな恐怖を日々感じさせるぐらいなら一緒にならないほうが良い。なにより彼女のために自分が今いる道を曲げることはできはしないし、彼女にそれを望むのもまたお門違いというやつだ。 夢を見るには自分の人生はもうとっくに遠くまで来てしまった。もちろん堤無津川で彼女に言われたことを忘れたわけじゃない。でもできなかった。彼女の気持ちを無視して、傍にいてくれないかなんて言うことは。 そうした諸々の要素が今の彼を作り上げている。好きだの愛してるだの蜜言を交わすだけの恋路とは違う。だからこそ、ここから先に進むには彼女自らの意思が何より大事だった。いや、もしかしたら話はもっと単純で、告白して断りの言葉を聞く勇気がないだけなのかもしれない。なにせこんなにまで入れ込んだ相手は降谷にとって本当に久しぶりだったのだから。 「で?俺のどんなところがかっこいいって?」 「やだ、絶対に言いませんからね」 「言ってくれないのか、そうか」 それでも降谷が嬉しそうに笑うと、二人の会話に入り込むように先ほどの店員が、「当店自慢のポーターハウスよ」と大皿を運んできた。テーブルに置かれると手馴れた手付きで肉塊が適度な大きさへとカットされていく。隅々まで研がれたよく切れるナイフが入る度に美しいミディアムレアの断面が露になれば、焼けた肉の芳醇な香りが漂い肉汁が次々と零れ落ちる。二人の目は言うまでもなく皿に釘付けにされていて、その姿はさながらご馳走を前にした子供、もしくはおあずけ状態の犬だ。「ステーキソースもあるけどオススメはこのまま。塩胡椒と肉本来の味を楽しんでね」、と言うと店員は付け合せを置いて急ぎ足で次のオーダーを取りに向かった。 「わあ〜美味しそう!ワイルドですねえ」 「アメリカに来たって感じがするな」 「食べましょ食べましょ」 「いただきます」、と声が重なるや否や二人が肉に齧りつく。見た目の豪快さとは裏腹に柔らかいそれはとても食べやすく、熟成されているだけあって噛めば噛むほど肉の旨味が広がり、口の中にジューシーな肉汁が溢れ出す。 「あー美味い!」 「ん〜こんなに美味しいステーキ初めて・・・!」 「肉汁が染み渡る・・・、美味いなあ」 「ほんと、美味しいですねえ」 熟成肉ならではの、ナッツのような上品な香りや深みのある味わいに舌鼓を打つ二人はとても幸せそうだ。次から次へと口に運び、肉の弾力を噛み締め、そしてビールをごくり。脂のコクとビールの苦味が心地よいハーモニーを生み出せば、胃袋だけでなく体全体が多幸感に包まれる。さすがはこのメニュー一品で百年以上も店を守ってきただけはあり、付け合せも含めて全てが絶品だった。 「私、熟成肉なんて初めて食べました」 「俺もこんなに美味いのは初めてだ。ビールにもよく合う」 「普通のお肉と何が違うんですか?」 「熟成肉っていうのは大抵高い湿度と1度ぐらいの気温の低いところに寝かせたもので、そうするとたんぱく質からアミノ酸が増えるんだ。ほら、アミノ酸は旨味って言うだろ?だから脂肪分の少ない赤身肉には旨味成分がぎっしりって訳さ」 「へええ、さすが降谷さん。ん〜ほんとに美味しい。でもこんなに大盛りだと思いませんでした」 「大丈夫。残っても俺が全部食べるから」 「あはは、心強いです」 * 「ベルモットがした取引、ですか」 「ジンが言うにはフサエブランドの非売品を手に入れたと彼女に言われたそうだが、それはカモフラージュなんじゃないかと踏んでいるようでね。しかし渡された情報があまりにも少ない」 やれやれ、と降谷は残り少なくなった大皿のステーキを口に放り込む。 「組織の人もまた無茶なことを言いますね」 「それもこれも彼女が秘密主義者だからだろうな」 組織として動く側からすれば度を越えた秘密主義者は辟易されやすいというものだ。そんなベルモットがこそこそ何かしている、とジンから渡されたデータに入っていたのは二つのPDFファイルだった。片方はベルモットが送ったであろうメールの本文を他の携帯から写し取ったもので、そこには英語で「こんなに素晴らしいものが手に入るとは思っていなかったわ」とあり、末尾には「また会えることを楽しみにしているわね。心を込めて。Vより」と書かれていて、もう片方には彼女がやりとりしたであろう相手のメールアドレスと住所、それからジミー・シモンズという男の名と写真があった。この二つのファイルから彼女がここニューヨークでしたであろう取引の実情を探るのが、今回バーボンに与えられた任務―実際はジン個人からの依頼だが―という訳だ。 「だが、彼女がそうやすやすと他人に携帯を触らせたとはどうにも考えづらい」 「見られるのを分かっていたってことですか?」 「そう考えるのが妥当なんだが・・・、あの男も切れ者だ、このファイルの内容が嘘とも思えん」 「あの、その二人の関係って」 「関係か。そうだな」 ふむ、と降谷は口を閉じる。あまり考えたことはなかったが、ここで一度整理してみるのも良いかもしれない。 まず一つ。二人はお互い組織の一員同士という間柄なのだろうか。あの方のお気に入りであるベルモットを気にするジンの態度は、ある種嫉妬に似たようなものがある。それだけ彼は組織に忠実な人間だ。そんな彼からしてみれば、任務には従いつつも自由気ままに行動する彼女は鼻に付くのだろう。だから彼女の怪しい行動を逐一気にかけるのも分からなくはない。しかし事はそれだけなのだろうか。なんとなくだが、それだけではないと探り屋の勘が訴えている。 何故そう思うのか。思い返せば彼女の言葉の所々にそこはかとなくそういう節があった。自分のことを優男と称した時なんか特にそうだ。あの時、「バーボンみたいな性格の方が辛気臭くなくていいけど」と言ったのは何故か。それは自分とは真逆の人間が近くにいるからではないのか。もちろんクリス・ヴィンヤードのプライベートの話かもしれない。しかし私生活を一切明るみにしない人間だからこそ、彼女が小言を漏らす裏には大抵組織の人間が絡んでいる。となれば彼女が憂うほどの辛気臭い人間なんて、ジンかコルンかピスコといったところで、この中で一番関わり合いが多いのはどう考えてもジンだろう。けれどもジンは大抵ウォッカと共にいる。ベルモットと二人きりで任務に出たところは滅多に見たことがないし、三人で行動するならばウォッカが二人の間に立つためにそう険悪なムードにもなるまい。 そこで二つ目。彼らは個人的に会うような仲なのか。彼女の携帯画面を盗み見たとなれば答えはそうそう多くはない。たとえ呼び出され脅されでもしようと、彼女は自分から携帯を差し出すような陳腐な真似はしない。確かに時々感情的だが、状況判断を著しく誤るまでに取り乱すこともないのだから、ミスか意図的かはまだ分からないにせよあの画面を撮られるなんてことになるのは、私的にコンタクトを取っていなければそうそう起こりえないこと。 普段の様子からではあまり想像できないとはいえ、それもジンが一方的にベルモットをやっかんでいるだけで、彼女からすれば別段彼を遠ざけたいのでもない。ジンとベルモットでマティーニか、なんて下衆なことを降谷は思ったが、強ち遠い答えでもない筈だ。もっとも、あの男は甘い言葉で女を誘うようなタイプではない。割り切った関係だったとしても声をかけていたのはおそらく彼女からだろうし、考えようによっては情報を掴むためにあえてその手段に出た線もありうる。とはいえ情報収集という理由からにせよ、性欲処理からにしても、万が一にも慕情からだったとしても、その過程に関して降谷は全く興味を持ってはいなかった。 「詳しいことは分からないが、たとえそういうことがあったにしてもだ、お互い弱味になる部分を曝け出したりはしない二人だ」 「裏の社会のお付き合いって感じですね。そうすると、意図的な何かがそこに?」 「おそらくそうだろう、と俺は踏んでいる」 降谷はベルモットがジンにわざと携帯の画面を撮らせたと考えていた。ジンが彼女に何をしていたのかと問いただしたのもジミーなる人物とのやりとりを見た後だろう。隙を突かれて携帯を覗かれ、その内情を問われた挙句ブランドバッグのやりとりをしていたなんて返事、彼女らしくもなんともないのだから。 (彼女らしくない、か) ふと伏目がちになるブルーグレイの瞳。その一瞬をは見失わない。 「降谷さん?」 「・・・一つ、また一つと組織のことを知る度に、自分が闇に染まっていく気がするよ」 誰それはこんな性格で、あんな特技を持っていて、こういう仕事をしている。知り得た情報が増えるということは、自分が悪事に手を染めた数が増えるということ。その行いが、長い間組織の一員として行動してきたことを如実に物語る。それが時々、どうしようもないほどに降谷に襲い掛かるのだ。 「違いますよ、逆です逆」 「逆?」 「降谷さんの行いは光です。降谷さんが第一線で内情を暴いてくれるからこそ、本来なら表に出ない部分が明るみになるんです。それは私たち警察を、ううん、日本を支えてくれる光なんですよ」 「・・・」 「確かに降谷さんに頼りすぎているところは沢山ありますけど、でも、だからって降谷さんの行いは闇にならないし、絶対にならせません」 ああ、こんなにも。彼女の言葉が澄んだ水のように体中に流れていく。どろどろと塞き止められ行き場を失った血が洗われるような、毒という毒が浄化されていくような。 そう、言霊は、きっとある―…。 (誰が知らなくたっていい、が知っていてくれさえすれば、それだけで、もう) いつだったか聞いたことがあった。潜入捜査の末、裏の世界にいすぎたために警察としての名前を消されたと。その人間の行いは警察に大いなる功績をもたらしたにもかかわらず、だ。そんな未来が自分にもいつか訪れることがあるのかもしれない。けれど日本を守り、自分の全てが彼女の中で息づくのなら、それはとても美しいことで、とても、幸せなことなのかもしれない。 「すまなかった、弱音なんか吐いて」 「そんな、それだけ大変なことをしてるんですから。でも、」 「でも?」 「私にできることも、ちゃんと教えくださいね」 「・・・ありがとう。そうだな、まずはもう一杯付き合ってほしい」 ちがう、そういう意味で言ったんじゃない。もっとベクトルの違うものを期待していた、とは眉間に皺を寄せて、んぐぐと眼前の男を睨む。 「なにかなその顔は」 「もっと、なんていうかこう、もっと」 「まずはって言ったろ、それとも付き合ってくれないのか?」 「・・・付き合いますけど」 省略された主語があるとはいえなんだか告白のようだ。降谷はハっとして、少しだけ照れくさくなる。それを気取られたくなくて、がオニオンリングで口をもごもごとさせている間に急いで店員を呼んでオーダーを追加した。 「それでだ、話を元に戻すが」 メールを見ることができる状況を作り出したのがベルモットの意図的な行為だったとして、と降谷は続けた。ジンもその可能性を想定していたからこそカモフラージュと言ったのだろう。彼女が彼の性格を考えて自分を深追いしてくることを思えば、彼がジミーを尋ねるのは至極当然の流れとも言える。ならばジミーも組織の人間が尋ねてくるかもしれないことを知っているのではないか。二人が何を企んでいるのかは分からないが、ブランドバッグの斡旋だったとシラを切られてしまえば正直それでバーボンの任務は終わりだ。ジンにもそう伝えればいい。 しかし重要なのはそこから先で、バッグがカモフラージュであることが明らかになった場合だ。ここには二つの可能性がある。まず何らかの取引があったとして、それをあの方が知っているケース。そもそも任務で赴いているのだから彼女の所在は組織には明らかだ。ひょっとしたらあの方に秘密裏に頼まれたものなのかもしれない。なにせ彼女はお気に入りなのだから。その場合あとあと波風が立つのも問題だ、取引内容はもちろんジンに報告して然るべきだろう。だが、もし彼女が個人的に動いているとしたら。使える手立ては沢山あった方が良い。わざわざ報告しなくとも彼女に貸しを作ることができるという訳だ。使わない手はない。 「とりあえずジミーのところに行くしかないんだが・・・そうだな」 現時点ではどれもこれも判断のしようがない憶測ばかり。ジミーとのやりとりのメールを見られても痛くもなんともないのは、単に表沙汰になっても困らない取引だったのかもしれない。下手に隠してジンに小言を零されるよりは、自分の目で確認させ納得してもらおうという意図だって考えられる。 「ニューヨークのどこらへんですか?」 「トライベッカだ。ここから地下鉄ですぐ行ける。だがジミーの武器の所持もよく分かっていない」 「アメリカって時点でもう、なんかそんな感じのような」 「ああ、完全に同意するよ」 皿に残った最後の一切れ。降谷がに「いるか?」と聞くが、「も〜お腹一杯です」と返ってくる。ならば遠慮はしないと、けれども名残惜しそうに頬張れば、見事に空になった大皿を前に、彼女は「降谷さん凄い」と息を漏らす。 「デザートは?ホットファッジサンデーが有名らしいぞ」 「な、ステーキにデザートまで・・・なんて罪深い」 「一口も無理そうか?」 「・・・甘い物は別腹でお願いします」 「よしよし、そうこなくちゃな。半分こしよう」 つぎへ→ |