六限終わりの研究棟。ミナト先生の研究室前。 前の時間、とある非常勤の先生の講義を聞いていて浮かんだ疑問をその人に問えば、ミナト先生の方が専門だから聞きに行くと良いと言われた。 だからミナト先生を訪ねにやってきたのだが、先生の部屋は扉がほんの少しだけ開いていて、薄暗がりの廊下には黄色の線が一本斜めに入っていた。ノックしようと思ったのだが、中から声が聞こえてきたものだから、俺はその手を下げ、しばしの間待つことにしたのだった。どうせ長くはかからないだろうと、話を遮ることを申し訳ないと思ったから。 「もうすぐ終わるけど、どうする?」 「待ってるよ?」 「ん、わかった。あと五分ぐらいだから」 女子学生と准教授から織り成される親しげな会話。 すっかりと日の落ちた時分から、健全な匂いは不思議としなかった。 (・・・ま、先生って顔整ってるし、性格も良さそうだし、若いし) 不倫の一つや二つ、この世界じゃステータスのようなものか。 ならば今日は訪ねるのをよそう、そう思った時だった。 「あ、ねえ、途中でコンビニ寄っても良いかい?」 先生が呼んだ女の名前に心臓がドキンと鳴って、何故だか姿勢が真っ直ぐになった。そう、金縛りにでもあったかのように、俺は動けなくなってしまったのだ。 って、?あの??俺の知り合いの、あの? 確かに、声、あんな感じだったかもしれないけれど。 (・・・嘘でしょ) 怪しい関係以外にはもう考えられなかった。 街を歩けば明らかに怪しい匂いの男女は沢山いるし、ニュースにだって不倫の二文字はよく出ている。昨今これといって珍しいわけでもないのに、自分の近くにそれをしている人がいるというだけで、何故こんなにも胸がざわつくのか。 (・・・不倫とは縁遠そうな顔してるのにな) 。俺と同じ文学部、同じ学年。そしてアスマの彼女である紅の友達。 あの告白され事件以来、聞けば彼女と一緒の講義の数も多かった。少人数で行うものもあったのに、入学してから半年も彼女に気が付かなかったのは、自分があまり誰彼構わず人と群れるタイプじゃないからだろう。俺自身アスマとだってどうやって仲良くなったか覚えていないぐらいだ。 ひょんなところで出逢った俺たちだけれど、その後は何がある訳でもなく普通の友達だった。アスマと飯を食えばそこに紅がやってきて、かと思えばもやってきて。そうして話をするうちに、なんとなく一緒にいることが多くなって。 きっと波長が合ったんだと思う。猫撫で声で近寄ってくることもなければ、見た目も中身も過度に着飾ることもしない。思慮深いところだってある。何かの本についてああだこうだと意見を交わすこともできたし、反対に沈黙を楽しむこともできた。 なにかを強要することもなく、されることもなく。 裏を返せば深いところまで入り込まないとでも言うべきか。 でもそれが、心地良かった筈なのに。なのに。 (・・・なんで俺、ショック受けてるんだろう) 帰り道は街のざわめきを一際五月蝿く感じた。通り過ぎる男女を俺は冷めた眼差しで視界の端へ流していく。でもそんな目つきとは裏腹に、心の中では研究室の二人を思い出していた。まるで性に敏感な中高生のように。他の状況なんていくらでも考えられるっていうのに、俺には馬鹿みたく「そういうこと」しか頭に浮かばなかったのだ。 (途中コンビニ寄って良い?って、ゴムでも買いに行くんですかね) たいていどこのホテルにも備え付けのゴムぐらい置いてあるのにそれじゃあ足りないのかなとか、それはきっとお熱いんだろうなとか、手を絡めてホテルに入って行くのかなとか。 そんなくだらないことを考えながら。 でも一番くだらなかったのは、がどんな声で啼いて、どんな姿でよがるんだろうと思ったことだった。 だから思う。男女に友情は存在しないと。 (2015.3.31) (2016.3.20修正) CLOSE |