気が付いた時にはもう頭がふわふわしていて、あんまりよく物事を考えられなかった。いつからなんてそんなの、お酒を飲み始めた時からに決まっているけど、でもその兆候はもっと前からあったような気がする。気がする、なんて全部何もかも分かってるのに。
ドーナッツを頬張りながら、リンちゃんは言った。甘い甘いドーナッツとは反対の、ちっとも甘くない一言を。クシナさんとミナト先生の馴れ初めってなあに、と。ドーナッツはどうして穴が開いているのかとか、じゃあ穴が開いていないドーナッツはドーナッツじゃないのか、いやでもミセスドーナッツには穴の開いてないドーナッツも沢山あるじゃないかとか、じゃあどうして最初にドーナッツを作った人は穴をあけようと思ったのかなんてそんなくだらない話をしていただけなのに、ふと思い出したかのようにリンちゃんが言ったんだ、なんて、断じてリンちゃんが悪いわけでもリンちゃんのことが疎ましいわけでもなくて、ただただ始まりはその一言なのだということだけが言いたいだけだし、それに馴れ初めの話をするなんて当たり前すぎて全くおかしな質問でもなんでもないけど、とにかくうまい言葉が見つからない。
恥ずかし気に、でも懐かしそうに馴れ初めを話し出すクシナさんは、結婚して長い時間が経つ今でも恋する乙女そのものだった。ほっぺたが赤いのがお酒のせいだけじゃないとよくわかる。二人の出会いが小学校だったとか、小さいころのミナト先生はおとなしくてちょっと中性的だったとか、最初はそんなに好きじゃなかったとか、そのひとつひとつを昔はひとことも漏らさずに聞いたものだ。
悪い人に誘拐されそうになったクシナさんを助けたミナト先生の話も、段々とこれが恋なんだって気が付いたというクシナさんの話も、ぜんぶぜんぶ美しくて、お互いにとってお互いが唯一だと思うと涙が出るぐらい嬉しいことなのに。お酒で話の濃さを薄めるようにしなければこの場にいられそうもない自分が情けなかった。好きなのに苦しい。苦しいのに好き。いつも素直で理性的にいたいのに、現実は全然違う。感情の渦に呑み込まれていってしまう。
大人にならないと、とはいつも思う。はやくこの気持ちに区切りをつけて、違う道を歩かないとって。
きっと、気持ちのやりどころがないのがいけないのだと思う。ミナト先生に好きだと言って先生に気を遣わせたくない。クシナさんやナルトに私の気持ちを知られたくない。知られたら、今のままではいられないから。みっともない泣き顔でミナト先生を好きになってごめんね、なんてクシナさんに言うつもりもないし、このまま、ただおだやかに、この家族が生きてくれたら、それが一番良いことで、私にとっても幸せなことで。
私の好きは、宙を漂うぐらいでちょうど良い。行き場所なんてどこにもなくて良い。誰にも知られず、熱が収まるのをただじっと、待っていられればそれで―…。

(とかなんとか思ってる間に、カカシには気を遣わせてるしなあ・・・よくない)

自分だけの問題が、もう自分の心の中だけにとどまっていない。カカシはああいう性格だから、野暮みたいなことはしないけど、だからこそ、ときどき後ろめたくなる。
大人になろうと思うけれど、思うだけじゃもう、ちょっと遅いのかもしれない。

(・・・ちゃんと、考えないとなあ)

遠くでクシナさんが私を呼んでいる。パンの焼ける匂いがした。カーテンから漏れる朝日がミナト先生のベッドを照らしている。一晩、主のいなかったベッドは整えられたままの形を保っていて、先生が毎晩着ているのだろう寝間着が綺麗にたたまれていた。何となしに手を伸ばしてみたけれど、届くことはなかった。








(2020.5.24)              CLOSE