このページのコピー取ってくるね、とは小さな声でその場を去っていった。眠りから醒めたのは本当についさっきのことだった。ああ。聞こえてしまった。きっとあいつは俺が寝てると思っていたにちがいない。たしかにそれは間違いじゃないけれど、なぜ意識が戻ったのがこのタイミングだったのか。

「・・・バカなやつ」

なにが「優しすぎるよ」だ。的外れも良いところだ。好きだからつらいんだ。好きだから何も言えなくなるんだ。これは全然優しさなんかじゃない。
腹が立った。にも、自分にも。だから意識が飛ぶ前まで書いていたルーズリーフをぐしゃぐしゃに丸めてしまった。どうせ寝てるときに皺を作ってしまったから、もういいのだ。

『いくらなんでも一年半って長すぎると思うんです』

いつだったかのテンゾウの言葉がループする。ほんとうに、あいつの言うとおりだ。一年半。それどころか、そろそろ二年目が近づいている。
テンゾウは彼女と破局を迎えたというのに、その間に何も変わったことはなかった。自分にも。にも。それでも頭をひねって搾り出せることといえば、彼女がミナト先生のゼミを選択したぐらいだ。それにそれは言わずもがなってものだ。分かっていたよ、そんなこと。平行線。交わることのないただただ伸び続ける平行線。

(・・・もう少ししたらバイトに行かないと)

ちらりと時計を確認すると、時刻は16時半を過ぎようというところだった。あと10分もしたら大学を出なくてはならないから、それまでにが帰ってくるといいのだけれど。なんて思っていたら現れた。直ぐ隣に。

「おはよ、カカシ」
「おはよ」
「はい、ここ置いとくね」

そう言ってはA4サイズの、印刷したてでまだ温かみの残る用紙を俺のファイルの上に置いた。丁寧にホチキスでまとめられている。「悪いね」と言って明日の授業で必要なそれをしまい、コピー代を渡そうと小銭を差し出せば、彼女に「だーめ」とピシャリと言われてしまった。
多分、俺は締まりの悪い顔をしていたと思う。反対に彼女はへらへらと笑っていた。

(あのさあ)

その笑顔に揺さぶられてるの、分かってる?少しだけ首を傾げるその笑い方。やめてほしい。好きだから。お前を前にすると、何にも言えなくなっちゃうんだよ。好きだから。

(はー、つらい)

好きな相手が自分だけを見てくれる薬と、恋をすることをやめる薬があるなら、きっと後者を選ぶに違いない。今すぐにでもこのつらい思いを断ち切ってしまいたいのだから。
どうして人は恋をするんだろう。子孫繁栄が動物の本能なら恋なんて煩わしい手段じゃなくてもよかろうに。むしろ会って一瞬で性格から体の相性から何から何まで分かるほうが効率も良いというのに。自分のことを好きになるかもわからない相手に恋をして、結果叶わず散ってゆくことには動物としては何の意味もないと思うのだ。進化の過程で人間はなんて厄介なものを取り入れてしまったんだか。

「・・・
「ん?」
「頭、触っていい?」

言うや否や伸びていく腕。もうそろそろ、駄目なのかもしれない。限界が近いのかもしれない。それを肯定するように、テンゾウの言葉が頭をぐるぐると回り出す。

「え?あ、なにか付いてる?」
「・・・うん」

なにも付いてない。なにも付いてなんかないんだよ、。それにそんなに簡単に差し出すなよ。そりゃ触りたいって言ったのは自分だけど。

(少しでいいから、俺にも入り込める隙を見せて)

言わば今のは、戦国武将みたいな甲冑を纏っていて、プラスチック製のおもちゃの剣を持った俺では全く刃が立たないのだ。プラスチックじゃ立つ刃もないけど。それに全身から「波風ミナトが好きです、その他は眼中にありません」オーラが出ていて、これまた俺にはその砦が全然崩せない。ま、崩そうと何かしたことなんてないんだけど。
でもたった少しでいいから、俺のことを視界に入れてでもくれたなら。どんなに時間がかかっても、立ち向かっていけるのに。

(優しさなんかじゃないんだ、

彼女の頭に触れる時、耳を掠めてしまったのは意図しないことだった。その一瞬を、そう、彼女の耳の輪郭を、彼女の皮膚を、全身が感じた。

「・・・とれた」
「ごめん、ありがと」

無垢な笑顔を裏切った。好きだと言って、抱きしめたかった。その唇に触れてしまいたかった。












(2017.3.8)              CLOSE