友人は勢い良く飛び出て行ったものの、研究室棟を出た後は歩いていたらしい。それというのも、オビトは彼のだいぶ後に部屋を後にしたにもかかわらず、その後姿を簡単に見つけることができたからだ。 とぼとぼと歩きながら暗い夜道に溶け込む男の背は普段よりも猫背で、どこか投げやりな空気を放っている気すらしてしまう。そんなカカシの背中をじっと見据えながら、オビトは友人が片付けずに放置していたファイルを片手に持ち、一定の距離を保ちながらその後ろを歩いていた。 (こいつがこんなに感情をむき出しにするなんて) 一体なんと声をかけたものだろう。 自分と違っていつも冷静で、物事をよく観察し、行動するようなあのカカシが―…。 (それだけ、好きってことなんだよな) ムキになること。感情を理性で抑えきれないこと。そうなってしまうぐらいに友人は恋をしている。 (・・・わかるよ、カカシ。すげーわかる) 瞼の裏に色濃く浮かぶ、自分の想い人。その気持ちがオビトには痛いほどよく分かるからこそ、普段の調子で声をかけるわけにはどうしてもいかなかった。 風が首筋を通り過ぎていく。それが同じようにカカシの襟足をさらっていくと、銀色の綺麗な髪がさらさらとそよいだ。その何気ないシーンがオビトの脳裏に、まだ高校生だった頃のいつかの帰り道のこと想起させる。 カカシは今と同じように自分の目の前を歩いていた。あの頃はまだお互いのことをたいして知りもしなくて、委員会が一緒であるというだけの理由から、学年が違うにも関わらずオビトは彼によく話しかけていた。自分の方が一年先輩であるのに、彼はとてもぶっきらぼうな態度で、話だってよく無視されたものだ。返ってくる言葉といえば、しつこいの一言。そんな言葉が続いていた日々。はじめはカチンときては二度とこんな奴に話しかけるか、と思ったものだが、それでも彼の人を寄せ付けないオーラがオビトにとっては触れたことのない世界だったからか、気がついた時にはもうはたけカカシという男のことが気になってしかたなかった。 どうしていつも一人を選ぶのか。 どうしていつも口を閉じてしまうのか。 どうしていつも一歩引いたところにいるのか。 どうしていつも笑わないのか。 人生は、なんて語れるほどの哲学を持ち合わせてはいなかった。けれどもそれでも思うのだ。人生は素晴らしい、と。朝起きれば太陽が顔を出すことも、その光を一杯に受けた葉の緑が美しいことも、体の細胞の一つ一つが活性するのがわかるぐらいに毎日の食事がおいしいことも、友達と話をする何気ないひとときが最高に楽しいことも、明日は何が起きるだろうかと期待して眠りにつくことも。その素晴らしさは誰にだって平等にあって然るべきもののはずなのに。なのに、彼は。 けれどあの日彼は振り返って言ったのだ、「オビトって、ほんと変なやつ」と。 太陽の光に照らされた彼の銀髪は透き通るように輝いていて、そよ風によって襟足は右から左にさらわれていた。逆光で確かな表情は窺えなかったけれど、それでもどことなく口角が上がっていた気がした。 初夏の青々とした香り。シャツを撫で去る流れのなんと気持ちの良いこと。 「・・・なにしてんの」 そんな友人の声がオビトを現実に引き戻す。慌てふためくように彼は肩をびくつかせた。 「・・・よう、奇遇だな」 「後ろずっと歩いてたくせに」 「あ〜その、なんだ」 ぽりぽりと。恥ずかしそうに頭を掻く。打って変わってカカシは呆れたように目の前の友人を眺めていた。腕に抱えるファイルからして彼が自身を追いかけてきたのは一目瞭然だった。いつも土足で人の心に入り込んでくるくせに、こういう時は決まって口下手だ。とはいえ今回のケースは特殊だからこそそれも仕方がないのだが。 「カ、カカシ、飯食った?」 「まだ、だけど」 「食いに行こうぜ」 「・・・おごり?」 「おごらねーよ」 「えー」 「行かねえの?」 「ま、行くけど」 仕方ない、とでも言いたげな声音とは違い、カカシの表情はそうは物語らない。 穏やかな顔。彼は変わった。その理由のほんの片隅で構わないから、自分がいたならば。ふとそんなことがオビトの心を通り過ぎていった。 (2016.8.15) CLOSE |