は暗部と平行して表では上忍師補佐として働いていた。所謂チューターのような役割りであり、ナルト達の代の他に、大体二期上までの班員を請け負っている。基本的に全権は各班の上忍師だが、彼らにとって負担の多い任務の際に同行したり、何らかの問題が生じた際の相談役や、報告書の取り纏めなどが彼女の主な職務だ。しかしそれ以上に、上忍待機所で上忍師の愚痴を聞くことや、下忍達の身体面や精神面のケアの方が実際の職務より比重が大きいのが実際のところである。

「お、これはこれは。上忍師補佐様」

が待機所のドアを開けると、深い顎髭に包まれた体格の良い男、猿飛アスマが室内に設置されたソファで煙草を曇らせていた。
灰皿に溜まる吸殻の量には顔を顰め、嫌味と言わんばかりに窓を思い切り開けると、視界を邪魔していた靄が風に乗って流れていく。白みがかった部屋が若干すっきりとしたようだった。
外へと靡いていく煙をアスマが目で追っていくが、その視線は直ぐに目の前に立つ上忍師補佐に戻る。何か言いたそうな男の目を彼女は直ぐさま察知するも、気が付くのではなかったと後から後悔したのだった。

「昨日女と良い所まで行ったってのに、そいつ彼氏がいてよ・・・って何だよ、その目は」
「あのね、私そういうストレス吐かれるために生きてるんじゃないんだけど」
「まあまあそう言うなって。今度の飲み会は奢ってやるからよ」
「酔い潰れて一回も払ったこと無いくせに。よく言うわ全く」

それもそうだと一人大笑いするアスマを他所には備え付けの安いコーヒーに口を付けた。思いの外熱く、舌先を少々負傷する。彼女の肩が僅かに震えたのをしっかりと見ていた髭面の男には、満面の笑みが浮かんでいた。

「む、見たな」
「ああ、ばっちりとな。ごちそうさん」
「ばーか」

顔の筋肉が緩む眼前の男に熱々のコーヒーをかけてやりたい。は心の中で悪態をついた。
そしてもう一口コーヒーを飲もうとした時だった。待機所のドアが開き一人の上忍が肩を落として室内に入って来たのは。

「よ、お疲れさん」

気の抜けたアスマの声が宙へと消えていく。どうやら何かあったらしい、と察知するのに時間はいらず、彼は吸いかけの煙草を灰皿に静かに置いた。
その上忍は、アスマが受け持つ班の二期上のベテラン上忍師であり、ガイに負けず劣らずの熱血漢だった。そんな彼率いる班員たちは、今年の中忍試験合格を目標に、日々鍛錬と任務をこなし、下忍班の中でもかなりの力を付けているチームで、休日まで仲睦まじく集まり出かけるほどの親密さと高い信頼関係を持っていた。それもこれも彼の指導の賜物だ。そんな熱意溢れる彼の項垂れる姿を見ることなど普段全く無かったために、一体何があったのかともアスマも固唾を飲む。

「大丈夫ですか?」
「ああ、、それにアスマも。実はな・・・」



*



重い足取りでは里を出て直ぐの、とある場所へと向かっていた。太陽は燦々と輝き、一日の内で一番気温の上がる時間を演出しているというのに、心は物憂い雨日のようだ。もちろん全ては先程の熱血漢から聞かされた話が原因なのであるが。というのも、どうやら班員が一人亡くなってしまったらしい。それも、任務中ではなく不慮の事故だったそうだ。
亡くなった下忍の父親は土木業を営んでおり、受注された仕事のために山を一つ切り開いていた。そこにたまの休みを貰ったその下忍、もとい息子が弁当を届けに幼い妹を連れて訪れたのだが、その道中、不運にも前日の悪天候が土砂災害を呼んでしまったのだ。決死の除石作業も虚しく、二人が発見された時、既に息は無かった。妹を庇うような姿勢だったにも関らず自然の脅威に慈悲は無く、あらぬ方向に曲がった四肢がその脅威の壮絶さを物語っていたという。
もし、妹を連れていなかったら、彼は忍だから助かっていたかもしれない。除石に当たった作業員の一人がそう洩らしていたらしい。知らせを受け現場に駆けつけた上忍師は、その言葉に激怒した。それもそのはずである。悪意が無かったとは言え、作業員の言葉は慰みにもならぬどころか、彼の妹の存在を谷底に突き落とすような発言だったからだ。
重たい空気のままに、葬儀は親族、上忍師、それから班員の五名のみで行われた。そして一夜明けた今日、任務の為に上忍待機所に寄ったのであった。葬儀が終わったからといって、それで気持ちが晴れるほど、人間の心は無粋にできてはおらず、行き場のない悲しみを抱えながらも、彼はその心を殺してこれから任務に出ねばならないというのだから現実は残酷だ。

「はあ」

は項垂れるように木陰に腰を降ろした。
此処は里の傍にありながらも、以前熊が現れたのなんだので一般人は基本的に寄り付かず、時折アカデミーの子供達が来たり演習場を嫌う物好きな忍が修練に来るだけの、普段人気の少ない場所で、天気の良い日には木漏れ日が天の光のように差し込み、草花を鮮やかに照らし出し気持ちの良い空間で、日々の血なまぐさい生活の中に身を置く彼女にとっては、人知れず一息つくことのできる大事な隠れ処だった。
そこで彼女は徐に、降り注ぐ光の線に手を伸ばしてみる。すると光の領域に入った部分だけが明るくなり、じんわりと陽の温かさを感じた。掴むことなどできやしないのに、何故それが可能であると思ってしまうのだろうか。

「もう、いないなんて」

忍であろうと無かろうと、死はいつでも命ある者のすぐ傍に潜んでいる。
亡くなった下忍はにとっても面識のある少年で、屈託のない笑顔と仲間思いの、強い心を持っているところがとても印象的だった。彼の家系の血筋では初の忍ということで、両親もそんな息子を自慢に思っていたし、彼自身もその期待に応えようと日々修行に励んでいた。努力家で今後の成長を期待していただけに非常に残念で仕方が無い。大切な人を守りたいと日々口にしていた少年にとって、自身の最期が妹を守るような体勢だったということが、せめてもの救いになっていると良いのだが。しかし願わくば、どんな形であれ命を取り留めていて欲しかった。
決して叶わぬ願望はいつだって残酷な現実しか映さない。それが変えることのできないこの世の摂理であっても、やるせない気持ちにならずにはいられなかった。彼の親族や班員達が一日でも早く元気を取り戻すために、一体何ができるだろうかとは思った。
あれやこれやと考えが脳裏を過ぎるが、そのどれもが今は中途半端な慰めにしかならないと気付いてから、頭を働かせるのをやめ、憎い位に真っ青な空を見上げる。
雲一つない、澄み切った青空とはまさにこのこので、それは同時に自然の酷な面を映し出してもいた。一羽の、恐らくは鷹であろう、鳥が風に乗り東の方へ飛んでいった。その姿を彼女は虚ろな視線で追ったが、見え無くなるとそのまま何をするでもなくそっと両瞼を落としたのだった。



*



うずまきナルトは鼻歌混じりに里へ向かって歩いていた。

「サクラちゃんもおっちょこちょいだってばよ」

そういうところも可愛いんだけど、とナルトは浮かれながら手の中にある、サクラに探すように頼まれたブローチを太陽に透かせながら足を進める。
何日か前の任務でカカシ率いる第七班はマダムしじみの愛猫を探していたのだが、その謝礼にと貰ったブローチをサクラがうっかり無くしてしまったのだ。一緒に探してくれと頼まれたナルトとサスケは快諾するも、ナルトには下心が芽生えたのか、見つけたらデートをして欲しいと逆にサクラに頼み込んでしまった。彼女としても普段なら断るところだが、今回貰ったブローチは彼女の好みにとても合っていて、さらには金持ちのマダムからの頂き物というだけあり高価なものでもあったので、どうしても見つけたかったらしい。
そのため、しぶしぶオーケーを出したのだが、ナルトにデートを誘われたことで、今度はサクラにも乙女の下心が生まれてしまった。そう、つまり彼女の心に潜む「内なるサクラ」がサスケをデートに誘えるのではと囁き出したのだ。
サクラの見解では、里の外に出たのはこの数日で時間にして三十分にも満たなかったので、ブローチは里内にあるはずだった。そこでナルトに里の外(とは言っても門からそう離れていない場所だが)を任せ、サスケには里の南側、そして自身は北側と振り分け、恐らくは里内でどちらかが見つけるだろうと、そのことに期待したのだが。だがしかし、ブローチを見つけ出したのはナルトだった。そのことを露とも知らないサクラは、今もサスケをデートに誘うためにブローチを探すことに必死だ。

「サークラちゃんとデート、サークラちゃ・・・ん?あれ?この感じ・・・」

一筋の風に乗ってナルトはよく知った気配を感じ取った。そしてその気配の方に向かって、あたかも食事の良い匂いに釣られているかのように動き出す。サクラの元に向かう途中だったというのに、何故こんなにも気を取られたのかナルトには解からなかった。きっと心のどこかでこれからデートが待っているということを、知っている誰かに伝えずにはいられなかったのかもしれない。ナルトはブローチを胸ポケットにしまい、しっかりとホックで止め落ちないようにすると、身長ほどもある草むらを掻き分け、さらにいくばくかの坂道を乗り越えて、気配の大元へと辿り着いたのだった。

「やっぱり。ねーちゃんじゃん」

ナルトの目の前には、太い幹を背もたれに俯き座るがいた。驚かせてやろうと大きな声で名前を呼ぼうとしたのだが、その姿がただ座っているのではなく、どうやら眠っているらしいということに気が付く。ナルトは驚かすために大きく吸った息を、そっと静かに吐き出した。息を吐いたことで肩がゆっくりと下がり、叫ぶ寸前だった口も徐々に閉まっていく。そして木漏れ日によって優しく照らされている彼女の横顔をじっと眺め、ナルトは音を立てぬように忍び足で静かに歩み寄った。

(ねーちゃん、気付かねーって相当爆睡してる?)

普段ならば下忍如きの忍び足に気付かぬではなかったが、どうしたことだろう、今日は深い眠りに落ちているらしい。
そうこうしている間にも、ナルトは彼女の傍に近づいていくが、僅かに鳴る草を踏む音にすら彼女は気が付く気配が無い。そしてとうとう気付かれぬまま、ナルトは彼女の横にしゃがみ込むことに成功したのだった。
自分の知らないところで仕事詰めだったのかもしれない。だから疲れてこんなところで寝ているのかもしれない。そういった考えは残念ながらナルトには皆無で、むしろ上忍に気が付かれないほどに自分が成長した、とあらぬ方向へと走り出す。
だがしかし、そんな余裕は一瞬の内に終わってしまった。の寝顔に、魔法にでもかかったかのように身体を動かすことができなくなってしまったのだから。

「・・・ねー、ちゃん」

ナルトの胸が、高鳴った。
普段とは一味違ったようにその目に映った姿に、心臓が締め付けられるような痛みに襲われる。

(睫毛、長い)

相手は補佐とは言えども上司である。厳しい上下関係などこれっぽっちもないのだが、かといって友達同士のような相手でもない。一方的とはいえ、このような距離でを見つめたのはナルトにとって初めてのことだった。
興味本位で覗き込んだというのに、いつのまにかその寝顔に吸い込まれていて。
整った顔をしているだとか、睫毛が長いだとか、胸はそこそこあるだとか。
自分より色が白いだとか、指先に色気があるだとか、桜色の唇だとか。
そう、寝ているために表面は乾いてはいるが、それでも柔らかそうな、唇、だとか。

(触ってみたい)

ごくり。ナルトは唾を飲み込んだ。
心の奥に潜む興奮を呼び覚ますのに、思春期の若々しい性は十分その役割りを果たしたに違いない。沸々とその頭角を現す本能と共にナルトの震えた指先が、自然との唇へと向かっていく。
一層五月蝿くなる心臓と、荒くなる息を堪えるために軽く歯を食いしばり、指先が届くまであと僅か数センチ。触れるか触れないかの寸でのところで、ナルトのより大きくなった緊張が伝わってしまったのか、物語のお決まりのように、彼女の瞳がパチリと開いたのだった。

「あっ、あ、そ、その」

に見られている。そのことを意識すると、ナルトは今日一番、心臓が跳ねた気がした。そのせいで、伸ばした手を戻すことができない。

「ね、ね、ねーちゃ、」
「・・・ナル、ト?」

寝ぼけ眼なのをこれ幸いとばかりに、はっと我に返ったナルトがさっと手を引き戻す。
完全に覚醒しきっていないからか、特に何を思うでもなくは二三度目を擦り、思い切り伸びをした。それから大きな欠伸を一つして、彼女は目をしばたたかせながら身体に残った眠気を追い払うと、改めて目の前にいるナルトを見やる。何故ここにナルトがいるのかということも気にはなったが、それ以上に何をそんなに焦った風なのか、そちらの方が彼女は気になった。

「どうしたの?耳赤いよ?」
「えっ、な、何でもねーってば。それよりねーちゃん何でこんなとこで寝てんの?」
「んー・・・。考えごとしてたら寝ちゃったみたい」
「爆睡だったってばよ?」

何の気なしのナルトのその言葉には一瞬顔を顰めた。というのも爆睡だったということはつまりその様子を見られていたということになる。里の近くとはいえ、外部で誰かが来たことに気付きもしなかった自身の緊張感の無さを、彼女は心の中で猛反省する。ナルトに気が付かれないようにそっとため息をつく一方で、少年は目を真ん丸にし、何か思い出したような顔をして急に立ち上がった。

「俺ってば、これからサクラちゃんとデートなんだってば!やっべ、じゃあなねーちゃん!」

にやけ顔で次の瞬間にはもうナルトの姿は見えなくなっていて。はきょとんとする他に何もしようが無かった。それも仕方が無い。なにせ、ばつの悪そうな顔をしたかと思ったら、驚いた顔になったり、今度はにやにや笑ったりと、次々に変わる面相に、彼女が言葉を突っ込む暇も無く、そのままいなくなってしまったのだから。

「ナルト、なんだったのかな・・・」

遅い午後の日差しが、まだまだその力を衰えさせることなく降り注ぐ。空は相変わらず真っ青だった。残ったナルトの残り香、とでも言うのだろうか、確かにこの場にいた金髪の少年の気配を感じながら、はもう一度大きな欠伸をした。

「へんなの」

ゆるやかに進む時の流れに再びまどろみながら彼女はくすりと笑った。



*



「俺ってば、俺ってば」

思わぬ寄り道に些か時間を食ってしまった。しかしその寄り道での出来事が、これから大好きなサクラに会うというのに、頭の中をぐるぐると際限なく回って仕方がない。普段隙の無い上司が無防備にあんな所で寝ていたのだから。あと数センチ手を伸ばせば、唇に触れることだってできていた。

「・・・」

どきどきしたのは、悪戯心の延長のようなものだろう。悪事がばれるかばれないかの瀬戸際だったからなのだろう。
胸が締め付けられる思いだったのは、気を抜いているという、見てはいけない姿を見てしまった気がしたから。だから心臓が止まりそうだったのだ。きっとそうだ。そうに違いない。

「あーっなんなんだってばよォ、このモヤモヤ!」







(2014.5.3)
(2017.5.19)            CLOSE