「次はあのお店ね」

依頼人がとある富豪の娘という時点で最初から嫌な予感はしていたのだ。
まるで恋人のように腕を絡めてくる、全身が高価な身なりで包まれた女を尻目に、木の葉の里一番の技師、はたけカカシは心の中で盛大なため息をついた。













カカシが綱手から言い渡された任務はいたって簡単、「丸一日大富豪の娘の護衛をする」、ただそれだけだった。
希望地は短冊街周辺で里の外に出るわけでもなく、それどころか具体的にどういう行動を取るために忍の護衛が必要なのか、ということも依頼書には特に明記されていなかった。唯一指定された条件が、「銀髪で片目の隠れた口布の忍以外は認めない」だった。綱手にはその特徴を持った忍はたった一人しか、そう、はたけカカシ以外には考えられず、さらに依頼人も当の大富豪ではなく、その娘自身であったためにしばし依頼書を睨み見た。何故二十歳にも満たない娘が、父親からでなく自ら依頼を申し出たのか。里を出るならまだしも短冊街周辺ならば大富豪の家庭だ、御付の用心棒ぐらいいるだろうに。親に言えない目論見がそこにあるからなのか。
勿論お互いの利益は尊重すべきであるし、どんな些細な要求とて里を守る忍が動かないことはない。しかし同時にそこには信頼関係も無くてはならない。最低限の項目しか埋まってない依頼書を相手にどう対処するべきだろうかと綱手は思い悩むのも束の間、依頼書の報奨欄を目にするとすぐさま伝令鳥を呼びつけたのだった。
そこにはなんとSランク任務時に支払われる報酬の三倍の値が書かれていた。この任務自体ランク付けするならばD程度だというのに、だ。わなわなと綱手の肩が震え出す。見間違いではないかともう一度一桁から順に額を数えていくが、やはり見間違いではない。断る理由など何処にあろうか、最早綱手の目には眩いばかりの金額しか見えていなかった。

「依頼主たっての希望でな、悪いがカカシ、頼まれてくれないか」
「はあ」

自分が呼ばれる、しかも単独で。これまた一体どんな高ランクな任務でも舞い込んできたのだろうか、とカカシが心してやって来てみれば。至極真剣な面持ちから紡がれた言葉はまるで想像していたものから一番遠いところにあるような気がしてしまった。

「これが依頼書だ」

報酬額をカカシに知られてはどんな小言を言われるか解からないと、新たにシズネに作り直させた依頼書を綱手はカカシに手渡す。しかしその依頼書を簡単に流せるほどカカシは馬鹿ではなかった(それもこれも綱手の性格をよく理解していたからであるが)。
火影の前にも関らず、カカシは大きくため息をついて呆れ眼で彼女を注視した。訴えるような眼差しに綱手の眉毛がぴくりと動く。

「お金ですか」
「一体なんのことだ?人助けは忍の立派な仕事じゃあないか」
「だからって、こんな中途半端な依頼書」

カカシは先程から一向に変わらない、じとりとした視線を綱手に送っている。

「なんだ、何か文句あるのか?」
「いやあ・・・さぞかしたんまり貰えるんでしょうね」
「お、お前だってこの財政難が解からないわけじゃないだろう、いいか、先方はカカシ、お前を指定してきてる。この任務はお前以外にはできないんだよ。もしお前が断るというのなら、を違法の疑いのある遊郭に潜入させても良いんだぞ。それでもいいのか?え?どうなんだカカシ!」

人の弱みに付け込むなんてこれが火影としてあるべき姿なのか、とカカシは背景に炎でも滾りそうな鬼の形相の綱手に幻滅の色を浮かべる。
綱手とて自分が一体何を言っているかは十分に理解していた。が、しかしそれだけ依頼主の謝礼金は巨万なのだ。この謝礼金があれば、近いうちに建てる医療の研究施設の予算の三分の二を覆えるのだ。一攫千金のチャンスを潰すわけにはいかない。

「仕方ない、この任務、完遂させた暁にはお前に休暇をやる。勿論も一緒にだ」
「あーもう!わかりましたよ、やります、やりますから」
「おお、引き受けてくれるか!悪いなカカシ、明日から宜しく頼んだぞ」

悪いなんて思っていないどころか、ノーなんて答え、用意していなかったくせに。カカシが肩をがっくりと落とし執務室を後にすれば、その話を同じく部屋の隅で聞いていたシズネが、我が上司の非道に項垂れ去り行く銀髪の姿を不憫に思いながら見送っていたのだった。



*



カランカラン。娘がドアを開けると短冊街には似合わぬ上品なベルの音が鳴った。香でも焚いているのか、店内から梔子のような花の香りがカカシの鼻を掠める。娘はその香りを胸一杯に吸うが、人よりも優れた嗅覚を持つカカシにとっては苦行以外の何物でもなく、口布の有難さを思い知ったのだった。
カカシの腕からするりと抜けると、娘はショーケースの中に整然と並ぶいかにも高そうな宝石をまじまじと見つめていた。すかさず店員が娘の元にやってくれば、仲睦まじそうに会話が始まる。どうやら娘はここの常連のようだ。しばし束縛から解放されたカカシが店の隅に移動すると、店員が品定めでもするかのような目つきでその姿を追った。そしてまた娘との会話に戻る。

「気になる?彼、私の友達なの」

鼻が高そうに娘が言い放つ。

「まあ、わたくしてっきり良い方なのかと」
「そう思って下さっても構わないわ」
「まあまあ!なんて素敵ですこと。今オーナーを呼んで参りますわね」

女というものはどうしてこう目的以外のことばかりに気を取られるのだろう。聞きたくなくてもカカシの耳にその会話が入ってくる。

(全く。一体いつ良い人になったんだか)

一体本日何度目のため息であろうか。ちらりと窓の外を見やれば、日は大分沈みかけていた。朝から始まった任務は護衛というよりも、お嬢様のお出かけの付き添いという名がピッタリで、娘からしてみればデートなのだろうがカカシにとっては只の雑用でしかなく、気分は最悪以外の何物でもない。綱手の脅迫さえなければこんな任務今すぐにでも誰かに押し付けて投げ出したいところだ。
最初はブランドショップ巡り。富豪の娘らしく、買う物全てがほぼ棚買い。もちろん荷物持ちはカカシで、片方には大量のショップバッグ、もう片方には常に絡みつく娘。飽きもせず店を梯子し、試着を繰り返しては聞かれる「似合う?」の一言。脳裏に綱手の顔と、任務遂行後に約束されているとの休暇の二つを浮かべなければやっていけなかったのは言を俟たない。
昼食後に見に行った家具店では、彼女はキングサイズのベッドを購入していた。そこの店でも彼女はお得意様らしく、ベッドを家に送るついでにカカシの持つ大量なショップバッグも一緒に押し付ける。
とりわけカカシにとって一番嫌だったのは、昼食時に素顔を晒さなければならないことだった。別に見られて困るものでも何でもないのだが、普段から信頼を置いてる相手以外には基本的に見せたことがないため、一方的に好意を寄せられている相手にそれをしないといけないことが嫌だったのだ。
行く店行く店で娘はちやほやされ、機嫌を取られ、最新のものを勧めらては褒め契られる。娘も娘で満更でもないような笑みを浮かべては勧められるがままに購入する。全く良いご身分だとカカシは思った。この娘と時間を過ごせば過ごすほど、虚ろな気持ちになっていくのは明らかだった。

(いっその事あの子の前でイチャパラでも読んでやろうかね)

大人気ない考えが浮かんではカカシは気を病んでいく。
ふとそんな時、カカシが立つ位置から一番近くに置かれたショーケースの中の、とあるネックレスが目に付いた。チェーンはピンクゴールドで、先端にイエロートパーズであしらった花が飾られたもので、シンプルだが存在感はしっかりとある。

(こういうの好きなんだろうな)

彼女もカカシと同様任務に追われる毎日で、二人で一日を通してどこかに出かける機会などは滅多になかった。こういう嗜好品を彼女は数えるほどしか持っていなかったが、だからといって嫌いなわけではない、むしろ好きな方だ。女子会と称し紅やアンコたちと飲みに行くことも多々あるし、甘いものや洋服、装飾品だって人並みには好きだ。この任務を終わらせれば休暇が約束されている。家でゆっくりするのも良いが、街を歩いたりどこか遠くの観光地に行くのも良いかもしれないとカカシはその未来を頭に描き、今は目の前の仕事を全うしようと心に決めたのだった。

「またのお越しをお待ちしております」

店員が店の外まで挨拶に来る。またドアのベルが上品な音を奏でた。この次も来てくれるように、あちらもあちらで大変なようだった。娘は今しがた購入したばかりのエメラルドで作られたネックレスを身に纏っており、ご機嫌そうだった。鼻歌まで歌っている。
日も沈んで提灯の明かりも点き始めた頃、短冊街はようやく本来の活気を持ち始めていてた。昼間の倍は増えたであろう人並みに飲まれまいと、娘は再度カカシの腕にしっかりと絡みつく。

「嬉しそうですね」
「ふふ、ねえあのオーナーの顔見た?」

娘は不敵な笑みを浮かべた。その顔は今日一番の笑顔だ。カカシはあの装飾店のオーナーの顔を思い出してみたが、自分の世界に入っていたためにぼんやりとしか覚えていない。オーナーは最初に娘と喋っていた店員よりもうんと若く、割と整った顔をしていただろうか。カカシには娘が何故そんなことを言うのかよく理解できなかった。
それよりも次は何処へ連れて行かれるのやらと、そちらの方がカカシには気になったていたのだが、娘の言った予想もしなかった一言に驚かされることとなったのだった。

「ねえ、カカシの家に連れてって」
「・・それは」
「お金を払って貴方を雇ったのは私なのに、断れるの?」

娘のカカシを捉える眼差しは至極真剣だった。








(2014.3.27)               CLOSE