「ふうん、忍の家ってこういうのなんだ」
「見たら直ぐ帰りますよ」

お嬢様の気まぐれとやらは一体忍をなんだと思っているのだろう。金さえ積めばなんでもいいなりになってくれる存在とでも思っているのだろうか。
以外の女を正当な理由もなく家にあげてしまったことにカカシは激しい嫌悪感を抱いた。もちろんやましいことをする気は一切無いのだが、カカシの脳裏には何度も何度も綱手のあの鬼の形相が浮かんでしまうのだ。そしてそんな脳裏の綱手が「接待なのだから我慢しろカカシ!余計な感情は捨てろ!」と怒鳴りつけてくる。それはカカシ自身の勝手な想像に過ぎないが、強ち金に目が眩んだ本人が目の前にいてもそう言う気がしてならない。あの綱手を前に断ることができる奴がいるというのなら会ってみたいものだ。あの自来也ですら死の淵を彷徨う怪力をくらいたくはない。だから今日は任務で帰りが遅いとが言っていたのを思い出し、急に強気に出た娘の発言にカカシは哀しいかなしぶしぶ承諾したのだった。

興味を抱いていた割に娘は冷めているようだった。それはそうだろう。あのような豪快な買い物をするのだから娘の家はさぞ煌びやかに違いない。そんな娘の家からしてみれば、カカシの家には特にこれといった珍しいものがあるわけもない、質朴そのものだ。家の隅から隅まで物色して満足したのか、娘は部屋の真ん中に置かれたベッドにぼすんと腰を降ろした。

「カカシ、女の人いるんだ。今、幸せ?」

カカシは返事をしなかった。わざわざ伝える必要は無いと判断したからだ。

「私も、好きな人、いたのよね」

急に娘が憂いを帯びた表情で呟く。心ここに在らずといった感じで、窓の外に浮かぶ星を見つめながら彼女は更に続けた。

「私、妹なの。姉がいるの。だから家は継げないの。それに、親もお姉ちゃんばっかり。そりゃあ私より頭も良いし顔だって良いし、ほんと、何でもできるお姉ちゃんよ。だから余計に親はお姉ちゃんばっかりで。正直どっちも嫌いだった。それで私にはお手伝いとなんでも買える制限の無いカードをくれたわ。親もわかってるのよ、私には家を継がせられないから、だからせめて苦労しないようにって。私だって家なんか継ぎたくなかった。もっと自由に生きていける所が欲しかった。利害の一致って言うの?だから丁度良かったわ」

相槌を打つ暇すらないのが密度の濃かった一日に丁度良い。ベッドに座る娘を、数歩離れた壁際からカカシは見下ろしていた。

「でも物欲とか、そういうの全然無かったのよね。だって欲しかったのは物じゃなかったもの。だから彼氏を作ったの。もちろん好きだと思った相手よ。恋をした相手よ。幸せだった。彼が隣にいるだけで私、何もかもが満たされたんだから。だからいつも恩返しがしたくて彼に何が欲しいかばかり聞いてたわ。そしたら何て答えたと思う?彼、物なんていらないよって。私と一緒にいるだけで幸せだよって。私、この人だって思ったわ。私には友達なんて呼べる人はいなかった。だって近寄ってくる人のほとんどが私を気に入るんじゃなくて私の付加価値を気に入るのよ。だから私は決めたの。彼を一生愛すと。二人で幸せを築くと。でも現実は違った。お姉ちゃんが、彼を寝取ったの。信じられる?私と一緒にいるだけで幸せって言った男がよ、それも知らない女じゃなくて、お姉ちゃんよ!問い詰めたら彼は言ったわ、本当はお姉ちゃんのことが好きで、でも高嶺の花だから、二番手で我慢しようって。私と一緒にいるってことはね、お姉ちゃんとずっと一緒に居られるってことなのよ。なんなのよ、このドラマみたいなベタベタな展開」

泣きながら怒りを露にする娘はまだまだ口を止める気が無かった。そんな彼女の話を耳にしながら、カカシはこのとき日中彼女に対して抱いた気持ちの数々を訂正していた。
ちやほやされてきた娘だとばかり思ったが、そうではなかった―…。
なんでも揃う裕福な家にありがちな話だが、こういう古典的な類いほど治す薬が中々ないのものだ。心に大きな傷を抱えて、それを誰に話せるでもなくずっと閉じ込めてきたのだ。何をしても満たされない心。全て吐かせて楽にしてやることが、すなわち彼女の話を聞き続けることが今できる最善の策だとカカシは判断した。

「彼を失ってから、また心にぽっかり穴が開いたわ。埋めなくちゃ、埋めなくちゃって、私、ひたすら買い物をしたの。今日の私の服、いくらすると思う?私の家にはね、宝石が沢山あるの。ブランドの限定品も沢山あるの。オーダーメイドで作らせた、この世で私しか持ってない物だってあるの。なんでも持ってるの。この家なんか私の家の足元にも及びはしないわ。ふかふかで大きなベッド、ジャグジーの付いた広いバスタブ、一流のシェフが作る毎日の食事、なんだって、なんだってあの家にはあるの。カカシだって見たでしょ、今日行った店の店員、みんな私に媚を売ってきたわ、大金ばら撒いてくれるお得意様だからよ!いい歳した大人たちがこんな小娘にプライドもなくへらへらするの。お金があるって素晴らしいと思わない?なんだって手に入る、なんだって、なんだって・・・」

言葉にならない悲痛な叫びを上げると、堪え切れない涙が次々と娘を襲った。本能のままに泣きじゃくる娘はもはや品位ある富豪の娘ではなく、どこにでもいる女の子だった。

「お姉ちゃんと彼、結婚するとまで言われていたのに、お姉ちゃんときたら、彼を捨てたのよ。そうしたら彼、何日かして私の所に戻ってきたの。俺が悪かった、魔が差したんだって。私、プライドだけは捨てない女なの。だから言ってやったわ、あんたなんてもう興味ないのよって。頬を引っ叩いてやったらあいつ逃げるように家から出て行ったわ。ざまあみろってんのよ。その勢いでお姉ちゃんのことも引っ叩きに行こうとしたら、お姉ちゃん、知らない男と曖昧宿から出て来たわ。よくやるわよね、ほんとうに。あの女、前の彼のことなんてさっぱり忘れた顔してた。次の日私に言って来たわ。彼忍なの。強くてスタイルもばっちりのイケメンでしょって。私の言うこと何でも聞いてくれるのって。清楚な顔してなんってえげつないのかしら!」

娘が服の袖で涙を拭い取るとそのまま立ち上がり、じっと聞き忍んでいたカカシの元へと音もなく擦り寄っていった。

「でもねあの女、どんな忍も銀髪の忍には適わないって。あの人だけは世界が違うんだって。手に入らないんだって。ねえ、カカシ、さっき私が貴方にオーナーの顔見た?って言ったの覚えてる?」

カカシは全てを理解した。あのオーナーがこの娘の姉だったのだということを。
そしてわざわざ依頼書でカカシを指定してきたのは、散々連れまわすことが目的だったのではなく、オーナーである姉にカカシの姿を見せるため。手に入らないと謳った人物が妹の隣を歩いているとなれば、きっとこれ以上の屈辱は無かったのだろう。だから娘は店を出て至極ご機嫌そうだったのだ。そう、エメラレルドのネックレスに喜んでいたのではなく、姉の悔しがる姿に心から歓喜していたのだ。

「もう解かったでしょ?私が貴方を雇った理由」

くねらせた身体をカカシに押し付け、指先を性的に滑らせた。

「でもね、もう一つあるの。私、忍の人とは、まだ、なのよね。だからあなたが私の相手になってくれたら、きっとお姉ちゃんの最高に悔しがる顔が見れるわ」

情欲を帯びた娘の眼がただひたすらにカカシだけを見つめた。彼女の指先がベストのファスナーへとかかる。それが何を意味しているかなど反吐が出るほど理解していた。

「私は貴方に大金をはたいたのよ、もちろんそれがどういうことか、わかるでしょう?」

ゆっくりとジッパーが下ろされ、アンダーが露になっていく。娘は全ては下ろさずに、開いた隙間から手を忍ばせて腹筋の溝をなぞるように指先を動かせた。先程よりもダイレクトに娘の体温がカカシに伝われば、娘の顔が徐々に女の顔へと変わっていった。そうしてカカシの口布に指がかかったその刹那、これ以上悪戯ができないようにと彼の手が娘の手首をきつく掴む。

「やめるんだ」
「なによ、自分の立場がまだ解からないの?」

その時だった。部屋のドアが開く音がしたのは。







(2014.3.29)               CLOSE