一体どうしたんだ。カカシのその一言で私ははっと我に返った。なんでもないよ、と言いかけて、その状況が明らかにおかしいことを悟ってしまった。なにせ夕方の薄暗がりの部屋の中で、ひとりぽつんと窓辺に座り込み、ぼうっと窓を見ていたのだから。 いつ彼が帰ってきたのかも解からなかったし、いつ彼が着替えたのかも解からなかった。その上いつ彼が電気を点け私の横に腰を降ろしたのかも解からなかった。どこからどう見たって「なんでもないよ」ではなかったのだ。 カカシは私の手を掬い取り、一本一本絡めるようにしてぎゅっと握った。手袋をしていない彼の骨張った手は大きく、温かい。確かにここにいるという存在を感じた。それからカカシは何も言わなかった。ただずっと、私の手を握っているだけ。でもそれが一番心地良かった。そう、カカシは私のことを何でも知っている。だからそういうところを、少しずるいと思ってしまう。 これが私だったら、言葉を考えては何が適当なのかを探り、これだと思った一言を口にする寸前にやっぱり違うと噤んでしまうのに、この人はそういうものを全て乗り越えてこちらにやってきてしまうのだから。 もちろん彼には言の葉の力も同時に備わっていて、必要なときに必要な言葉を言い得てしまうのだ。でもそれでいて彼自身のこととなるとまるで対処できないのだから、やっぱりずるい人だ。 嫌な任務だったと告げると、その言葉を封切りに涙が零れた。雨のようにどっと。泣きたいわけじゃないのに。カカシを困らせたいわけじゃないのに。空いているもう片方の手で落ちてくる涙を拭うのだけれど、吸水性のない皮膚では拭える量にも限界がある。 久々に、そう、本当に久々に心が苦しい任務だった。何度も何度もカカシを呼んだ。まともな判断が出来なくなりそうなぐらいに心が痛かった。一人で潰れてしまいそうになりながら、必死の思いで帰ってきたのだ。嫌などろどろが込み上げてくる。闇に負けそうとはきっとこういうことを言うのだ。 だって諦める方がずっと簡単だし、あえて記憶に留めておく必要もない。忘れてしまえば良い、我慢なんてしなくていい。そうして当り散らしてしまえば全てゼロに戻るだろう。 カカシは「沢山泣くと良い」と言って私の体をぎゅっとその身に抱き寄せた。ああ、きっとカカシにはお見通しなんだ。ううん、私の何倍も、彼は経験者なのだ。時折やってくる神経の高ぶりを彼は知っている。暗殺以上のものを目にしたときの、この高ぶりを。




「・・・怖かった」
、深く息を吸うんだ」
「う、ん」
「そう、ゆっくり。ゆーっくり」
「ごめんね」
「謝るなよ」
「もすこしで、落ち着くから」
「いいよゆっくりで。ずっとここにいるから」
「・・・ありがと」
「よしよし、よく頑張ったな」







あれは酷い有様だった。 死体公示所とは名ばかりの、ただの実験施設だ。 施設の地下にはいくつもの部屋があり、ある部屋では解剖机にあげられた十歳ほどの少女は胸を切り裂かれ、おがくずが詰め込まれていた。 一人の浮浪者が、詰まれた死体の口の中に手を突っ込んでは金歯を引っこ抜き、ポケットに放り込み不気味な笑顔を浮かべていた。 その部屋の隣には明るい髪の色とは反対に、血の気を失った体が椅子に置かれていた。そう、座っていたのではなく、置かれていたのだ。 女は裸で、四肢は椅子に付いたバンドで拘束され、肌には跡がくっきりと残っていた。 白い喉首にメスを沈められて、乾ききった血が腰のあたりまで伸びていて。 浮浪者を捕まえて話を聞けば、ここはネクロフィリア、つまり性的異常の役人による管理下にあったらしい。 外面の良い役人、しかも誰もが嫌がる死体公示所の役人を引き受けたとあれば、誰もが彼に頭を下げずにはいられない。 信仰の違う他国とよく紛争があったため、ここは非常に重要な建物であった。身元の確認できない死体もよく転がり込んでくるようで、その中に紛れて夜な夜な女性を引きずりこんでいたらしい。 いくら忍が死体に慣れているといえど、こういうのは全く別物だ。 身の毛のよだつ、薄気味悪い話。逆毛が立ちそうなぐらいに、ピリピリとした嫌悪感。 この施設を作り上げた当の本人は、滑稽にも素っ裸で己の性器を死んだ女性に突っ込んだ体勢で眠ってしまっていた。 こういう時、どう処理すればいい。いっそのこと大蛇丸のように全てを知りたいという理由で人体実験をしている輩でいて欲しかったぐらいだ。 だって性癖は自分では選べない。望もうが望まないが生まれ持ってしまったものなのだから。もしこの役人が自分の性癖に悩んでいたら。 それでも欲求を満たすためにはこうせざるを得ないのだとしたら。そんな付加価値的なことを考え出したらとうとう終わりが見えなくなる。 同情しているわけじゃない。でも物事はよく考えねばならない。とはいえどちらにしろ、後味の悪い話に他ならないのは確かだ。 だから私はクナイを握った。役人の寝顔はとても幸福そうだった。



















(2015.4.20 Benn/Morgue)               CLOSE