思い出されたあの光景は、今思えば酷く滑稽だったとナルトは思った。けれど当時のナルトにとって、誰かと繋がることほど心を救ってくれることはなかったのだ。会えて嬉しい反面、彼女が「また来週ね」と言って姿を消す時、心が空っぽになってしまったようで苦しかった。小さくなる後姿に得も言えぬ不安を感じた。それだけですら胸が締め付けられたというのに、もう会えないという事実がどんなに心を痛めたことか。
だから暴言を吐いて自分を守るしかなかった。心を激しく損傷する前に、ああやって一線を引くしかなかったのだ。彼女が悪いという訳ではない。かと言って自分が悪いのでもない。けれども心を開いたことに後悔してしまう前に、自分から関係と思い出を切ることで、あたかも最初から関係が在りもしないことにして、忘れてしまうしか術はなかったのだ。
そうすることで平生を保とうとする。ナルトのこれまでの経験が、防衛本能を最大限に働かせていたのだろう、幼子には非常に酷な世の渡り方だった。

「酷いこと言って、ごめんな」
「・・・ううん、いい、の」
「眠い?」
「・・・んー」

自然と腕に籠る力が増す。首筋に唇を落とせばピクリと縮こまるの肩。あの時を思うとたまらなく切なかった。
ナルト自身も今は晴れて上忍となった身だ。だからこそ彼女の多くのことが解かるようになった。里のため働く忍は任務には抗えないし、任務が無ければ生活もできなくなる。優秀であればあるほど、里にとって欠かせない忍になればなるほど、与えられる任務の数が尋常ではないことを、身をもって体験するようになるまでは解からぬことだった。
だがしかし幼子にはそんな大人の事情など、到底理解できないのだ。

「ねーちゃんに最初会った時、あったかいなー落ち着くなーって思ったんだ。ほんと俺って馬鹿だから、全然犬の面のねーちゃんだって気づけなくて」
「う、ん」

なんだかはずかしい、と彼女は身を捩らせる。

「サスケのこともあったし、あの後エロ仙人と修行に出た時、ねーちゃんのこと少し教えてもらったんだってばよ。そしたら暗部にいて、ずっと長期任務だったって言うからさ。里に帰ってきて、俺ってばねーちゃんとぶつかったじゃん?その時に、頭にぽーんって手置かれて、ごめんねナルトって言われて、なんでかあの時のことがフラッシュバックしたんだってばよ。ああ、そういえば犬の面のねーちゃんがいたなって。そんで、ねーちゃんこんな声だったなって。何で忘れてたんだろう。そしたらもうねーちゃんのことが気にな・・・・・・」
「・・・」
「え、あれ、おーい、ちょっと、ねーちゃん、寝てる?」

聞こえてくるのは規則正しい寝息だけ。肌に感じるのは規則正しい呼吸だけ。告白虚しく、すっかり夢の中へと旅立ってしまった彼女の顔を覗き込んで、頬を人差し指で押してみるも起きる気配は全くなさそうだ。

「ちぇ、もう絶対言ってやんねーかんな」

眉間に皺を寄せるも、気持ち良さそうに寝る姿をじっと見つめれば。

「・・・」

小さかった頃は、彼女はうんとうんと大人だったのに。
今では自分の腕を枕に小さく収まっている。そんな夢にも思わなかった、現実がここに。
帰らないで欲しいと後姿を見送った切ないあの日々が、遠い遠い昔のことのようだ。

「・・・、ねーちゃん」

愛くるしい寝顔がナルトを虜にする。
睫毛はいつの間にか乾いていて。上気した肌も平常を取り戻していて。
優しく頬を撫ぜれば、冷たさを孕んでおり、睡眠のためにすっかり体温が下がったようだった。

「すき」

手を伸ばせば手に入る大きな幸せが、目の前にいる。そんなことを自覚をする時、ナルトの胸中はしばしば酷く感傷的だった。
朝目が覚めたら、部屋に一人きりになっているのではないか。何も無い水底に一人きりで、酸素を求めてもがいている。水面は見えているのに、泳げど泳げど到達しない。
次第に息が苦しくなって、肺の酸素も底をついて、どうすることもできなくなって。
鉛のように身体が重くなって、沈んでいく。そうしてまた、水底に一人ぼっち。悲しさも、切なさも、そのまま何も感じなくなって。そこから先はあの時と一緒。ひとりぼっちの大海原。

「すき、ねーちゃん、すき。・・・すきなんだってば」

そんな思いを掻き消すように、どうか何処にも行かぬように、ナルトはを抱きすくめた。あの時みたく、俺を見つけて。あの時みたく、涙を拭って。あの時みたく、手を繋いで。
彼女の髪の毛が頬にあたりくすぐったい。柔らかい肌がピタリと重なって心地よい。情事の果てに疲れ切った彼女は、眠りの船で夢の中を揺蕩っていた。その船に、自分は乗っているのだろうか、なんちゃって。
無防備な姿に笑みが零れる。ただただ愛おしい。密度の濃い、けれどもシンプルな、恐らく一生曲がることの無い愛が身体の奥底からグツグツと沸き立つ。 額に一つキスを落とし、ナルトはを起こさぬようゆっくりと腕を引き抜いた。心ではしてやりたいと思えど、朝まで腕枕はできないからだ。
はらはらと落ちてきた彼女の髪の毛を耳にかけてやれば、露になった首筋が艶やかで。齧り付きたい衝動を抑えてナルトはサイドランプの明かりを消したのだった。

「おやすみ、ねーちゃん」

また、明日。良い夢を。



*



ゆらゆら。ゆらゆら。どこからか光を感じる。でもどこからだろう。

「・・・ト」

知っている。この声を知っている。

「・・・ルト、ナルト!」

次第に大きくなる心地の良い声に、ナルトの重たい瞼がゆっくりと開かれる。その青い瞳を目にするや否や、の唇から言葉が紡がれた。「ごはんだよ」と。「ごはん?」と彼女の言葉を咀嚼しようとするが、先ほどまで見ていた夢がとても良い夢だったような気がして、いまいち頭が覚醒しない。そんな恋人を優しい笑顔で包むも、食事がどんどん冷めていくのを知っている彼女は、急かすように「そうだよ、だから早く起きて」と言った。確かに。出汁の良い香りがしてくる。味噌汁だ。付け合せはなんだろう。力の入らない身体で幸せななぞなぞの答えをナルトが考えていると、見かねたヒロインに鼻を摘まれてしまった。

「んぐう」
「私このあと任務なんだから、一緒に食べたいなら今起きて」
「起きるってばよお・・・」

寝てるんだけど、とが思っていると、ようやく大きな伸びをする姿が確認できた。よしよし。もう起きるだろう、と一安心していると、先ほどよりも視界がしっかりとしていそうなナルトに「ねーちゃん起こして」と声をかけられる。

「まったく図体ばっかりでかくなっても子供なんだから」

それでもなんだかんだで起こしてくれるから好きなんだよな、と今度はナルトが心の中で思う。

「ねーちゃん」
「なあに、次は服着せてとか言うのやめてよ」
「ちがうってばよ、あのさ、もう一回ご飯って言って」
「ごはん?」
「ゆっくり」

一体この悪戯っ子は何を考えているのか。それでもその思惑が読めずに首を傾げながら彼女は言った。

「ご、は、んうっ」

「ん」と口を窄めた瞬間のことだった。今まで寝ぼけていたとは思えないほどの速さで彼女の唇が塞がれたのは。思わず身を引く彼女だったが、それも後ろに回された逞しい腕によって阻まれてしまう。
よくよく考えれば簡単な悪戯だわ、と観念したのか大きな子供のしたいように任せていると思いの他解放は早かったようで、目をあければ「ニシシ」と笑ったナルトとかち合った。

「ごちそうさまでした」
「いたずらっこめ」

つん、とが目の前の鼻先を軽く押すと、至極幸せそうな顔を浮かべられるものだから、その笑顔に当てられて「かなわないなあ」と胸の中で思うのだった。

「はいはい、まぶしくていとおしいですよ、ほんと」
「エッなに!?どういうこと!?」
「ほら、ご飯冷めちゃうから」
「あっえ、待てってねーちゃん!」


どうか君がこの先も元気に笑ってくれますように。






(2014.4.14)
(2017.5.19 加筆修正)     CLOSE