「すまんなよ」

ある日伝令鳥によって火影に呼ばれたは、予想だにしなかった任務に返す言葉を失ってしまった。

「・・・」

木の葉と同盟を組んでいる国の一つに山隠れという里がある。典型的な独裁政権によって牛耳られた里であり、ここ最近、数々の仕打ちに耐え切れなくなった民がクーデターを起こし政権を崩壊させたという。その運動のリーダーが現里長として里を纏める位置に立ったのだが、その長はどうやら三代目の古くからの知り合いで、以前が護衛したことのある人物だった。
クーデターの処理がまだ終わってはおらず、里内には前里長派と現里長派が入り混じる状態が続いていて、険悪な空気が日々漂っている。そんな中、 里長は政権が変わったばかりの不安定な情勢が安定するまでの間、自身の護衛を必要としていた。
自国の者を使うよりも、客観的に動ける者が必要であるとのことから、旧友であり信頼のおける三代目に護衛の忍を要請してきたのだ。山隠れの里長は前回の実績からを高く評価しており、できれば彼女を含めたチームに頼みたいと一言付け足していた。国家間のやりとりである案件とは言え、旧友からの申し出とあれば、と三代目はそれを承諾したという。
本来ならばあの火影から信頼を得ている、と喜ぶところなのだろう。だが彼女は中々素直に喜ぶことができなかった。というのも、ナルトのことが気がかりだったからである。
革命派は里長を支持しているだろうが、基本的に民はこれまでの政治に大いに疑いを持っている。その償いの清算はもちろん、そういった民を一つに纏めるのは非常に難しく、一筋縄でいくことではない。一ヶ月やそこらで国の情勢が安定するとは到底考えられず、下手したら一、二年は優にかかるかもしれない案件だ。そのうえさらに山隠れの里は木の葉から大分離れた所にあり、そう易々と行き来できる場所ではない。毎週末に木の葉に帰ってきて、ナルトの元へ向かうようなことは不可能だった。

「・・・ナルトのことは」
「ワシがしっかりと見ておくから、心配は無用じゃ。準備ができ次第頼むぞ」



*



「あー!!!」

日課である観葉植物への水遣りをしようとした時、ナルトは目の前の鉢植えの中で密やかに主張する蕾を見つけた。

「ニシシ、毎日水やってた甲斐があるってばよ」

今日は良いことがありそうだ、と鼻歌混じりに気分が上がり、もっと大きく育つようにとふんだんに水を遣り始める。

「今日は水曜日だから、週末にねーちゃん来る頃には咲いてっかも」

ナルトは早くこのことを彼女に伝えたかった。毎日の努力が実を結んだのだと。犬の面の彼女もきっと喜んでくれるはずである、と。
一体どんな顔をしてくれるのだろうと笑みが零れ、鉢の受け皿に徐々に水が溜まっていくことに気が付きもしない。びちゃり、と足の甲に泥交じりの水が落ちて漸くナルトは気が付いたのだった。

「あー!!!」

悲しいかな歓喜の叫びから一転、台所にかけてあるタオルを急いで取り、足を軽く拭いてから床の濡れた部分を吸い込ませる。幸いにも大して零れなかったようで、小皿一枚分ほどの染みでおさまった。ため息を付き、受け皿の水を捨てる為に鉢を持ち上げようとした時、ふと窓を小突く音が聞こえてきた。

「もー、なんだってば・・・よ?へ?え・・・え!?」

窓の外に居る人物がナルトには俄かに信じられなかった。見間違いかと二、三度目を擦る。しかし景色は変わらない。頬を抓ってみるが、目の前の人物は一向にそのままだ。一体何故。週末にしか来ないはずなのに。これまで一回たりとも平日に訪れはしなかったのに。ましてや昼間だなんて。
違和感を覚えるも、そこにいるのが大好きな犬の面の女であることに変わりはなく、ナルトの胸は高鳴らずにはいられなかった。今日は良いことがありそうだ。あの予感は確かだったのだ、と少年の両の目がきらきらと輝き口角が自然と上がっていく。急いで向かい鍵を開け、早く入って欲しいがために、力一杯に窓を横に引いた。

「ねーちゃん!なんでなんでなんで、なんでなんだってば!」

正直会えるならば理由はなんだって良かった。ナルトは彼女に言いたいことが沢山あったのだから。何から伝えようか、と言いたいことがあれこれと頭に浮かぶのに、それが上手くまとまらないのがとても歯がゆい。
目の前で喜ぶナルトの姿を、犬の面の女は眉根を寄せて切なそうに見つめた。いっそ会わないほうが良かったのではないか、という後悔と共に。

「・・・ねーちゃん?」

一向に入ってこない彼女にナルトは目をきょとんとさせた。普段なら直ぐに入って「また散らかして!」なんて小言の一つでも言うはずなのに。
ときめく心の裏にざわざわとするものが生まれたのをナルトは感じ取った。

「ごめんね、これから任務でさ」

―ああなんだ、任務なのか。ナルトがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、目の前に出された紙を見て彼は心臓が止まりそうになった。絶えず締め付けられているような鈍く重い痛み。この痛みにナルトは覚えがあった。思い出したくも無いというのに、フラッシュバックする嫌な記憶。
親に連れられて帰ってゆく子供。
邪険に扱われ、ブランコに座って俯く自分の姿。
誰も来ない。誰も自分に気がつかない。
ひとりぼっち。
ひとりぼっち。
ひとりぼっち。
その時に感じた痛みに酷く似ていた。黒い靄のようなものがじわりじわりと迫り来る。段々大きくなっていく。あと少しでも大きくなったならば。きっと自分では制御できない。きっと何かが外れてしまう。

「今日、一緒に作ろ。レシピがあればナルトも作れるでしょ?」
「こ、これからも来るんだよな!?」
「・・・ナルト、あのね」

いやだ!いやだいやだいやだ!聞きたくない!聞きたくない!
身体が覚えた嫌な思い出の数々は、そういう類に敏感だった。その先を言わせないようにナルトは必死に言葉を紡いだ。

「なんだよ、そんな声しちゃってさ!まさか任務が怖いとか?山賊とかかな〜めっちゃくちゃデケェ親分がいてさ、そんでさ、そんでさ、ねーちゃんにオラーって向かってくるんだろ!あっそれともあれか?火影のじっちゃんに怒られたんだろ!だからきっとメンドクセー任務押し付けられてるんだってばよォ!ねーちゃんもおっちょこちょいだってばよ!」

それからそれから、と山賊、火影、そしてその次に海賊や森に住む凶暴な怪物、次々と繰り出され話は止まらなかった。
どれでもいい。今話したどこかに引っかかってさえくれれば。今から言おうとしていることを忘れてさえくれれば。

「あっそうだ聞いてよねーちゃん、ほら、蕾!さっき見つけたんだってば!毎日水遣ってたからかな〜、俺ってば水遣りの才能あると思わねえ?週末にねーちゃんが来る頃には咲いてるだろうから驚かすつもりだったのに、ねーちゃんってば今日来ちゃうんだもんな!全く〜空気読んでくれよな!」

ニシシ、と笑った一瞬の隙を犬の面の女は逃さなかった。「ナルト」と静かに言い放つと、あれだけ止まらなかったナルトが、その一言でぐっと黙り込んでしまった。
静寂が二人を包み込む。まるで時が止まってしまったかのように。彼女は窓の外からナルトの頭にぽん、と手を置いた。
目の前の少年の瞳に映るのは、不気味な程に感情も何も無い、犬の面。こんな風になれたなら、どれほど楽だろうか。これから言う言葉で幼子が傷ついてしまうのを見るのが、彼女は心底嫌だった。
やめてしまおうか。これからもずっと来ると言って笑わせてしまおうか。そんな気にさえなってしまう。
結果論から言えば、ここで別れを告げようが告げまいが、どちらもお互い気持ちよくはなれない。ならば笑って置き去りにする方が、後々きっと酷なのだ。

「ごめんね、ナルト。長期の任務で、しばらく、帰ってこれそうにないの」
「・・・」
「一、二年、かかるかもしれない」
「・・・ッ」

クシャリとナルトの手の中のレシピが皺を作った。

(本当は、毎週、来たかった)

白日が金髪を更に明るくさせた。犬の面がナルトの金髪を撫でる。温かい。子供の体温だ。そんな子供には太陽がこんなにも似合うというのに、その心はまるで光の差さない深い水底だ。

「・・っなんだよそれェっ!!!」

耐え切れずナルトが吐いてしまった言葉は、酷く棘を持っていて。
この一月半で開いた心の扉が閉じてしまうのがナルトに彼女にも手に取るように理解された。
皺になったレシピが無惨にも掌から零れ落ち、ひらひらと床に舞い落ちていく。

「そうやっていなくなるんなら、最初っから来るんじゃねーってばよ!!!」

悲痛な叫びに締め付けられる胸の痛みを堪え、犬の面は子供がするものとは思えぬ、殺気を放つ目の前の少年を見つめ唇を噛み締めた。
ナルトにこのような目つきをさせたのも、心を傷つけたのも、自分であるというのが辛かった。望まぬことだけれど、なんて言い訳は、子供には通用しない。傷つけた。今確かに自分は子供の心をズタズタに傷つけたのだ、と。

「・・・ごめんね、ナルト」
「毎週来るって約束したのに!ウソつき!!!あっち行けってば!!!」

激しい怒りが目の奥でジリジリと燃えていた。ナルトは頭に乗せられた彼女の手を力任せに振り払い、さらに乱暴に窓を閉めた。窓越しに「ナルト」と彼女が呟く。しかしその言葉は届かない。それでももう一度彼女は名を呼んだ。結果は同じだった。
少年が振り返ることは二度となかった。犬の面の女が少年の元に現れることも二度となかった。






(2014.4.13)
(2017.5.18)            CLOSE