それから自分を取り巻く世界が徐々に変わってきたように思う。闇での生活に変わりはなかったが、一人だった世界に様々な人間が介在するようになったのだ。きっと自身が部隊長として率いる面々の面倒を見ていることも、要因の一つではあるだろう。何かを束ねる立場というのは、思った以上に根気のいることで、組織で動いている以上隊長の手腕はすぐさまチームに反映される。そういう生活の中で、自分の意見をちゃんと伝えるようにもなったし、回りの話をよく聞くようにもなった。そしてそういう時間が、気付けばあっという間に過ぎて行くようになって。
肌を撫で滑っていく風を優しいと思うようになった。
芽吹く草花を美しいと思うようになった。
夜空に輝く星が鮮やかに見えるようになった。
生命維持ができれば良いと思っていた食事にも好みが生まれた。
変化している。失われたものが帰ってくるかのような、はたまた循環を終えて戻ってきたかのような。愛読書もそうだ。前は文字と文字の連続にしか思えなかったのが今はどうだろう、情景をありありと脳で思い浮かべることができる。この確かな変化に戸惑いがないと言ったら嘘になる。けれどもそれを傍観できるぐらいには、なったような気もするのだ。




















とは暗部の人間としてではなく、表の人間として会うことが多くなった。彼女は中忍試験を難なくクリアし、今度は上忍昇格試験の為日々奔走している。そのため暗部装束ではなく、支給された忍服を纏う彼女は新鮮だったし、自分と一緒にいるところをガイに声をかけられたのがきっかけで、はたまにアスマや紅とも顔を合わせているようで、彼らに会う度にもみくちゃにされるとよく俺に愚痴ってはくすくすと笑っていた。次の休日には紅と買い物に行くらしい。その姿は年頃の女子となんの変わりもなかったし、彼女と自分の休みが合う時は、何をするでもなく火影岩のあたりで本を読んだり、彼女は俺の忍犬と遊んだりと、昔ならば考えられなかったことをすることもしばしばだった。
俺の方も暗部で起きたちょっとした出来事を彼女に伝えては、他愛の無い話に花を咲かせるようになった。今では、どちらも口にすることのなかったあの昔話ですらよくするようになった。懺悔のように話す自分とは違って、彼女からは彼らと過ごした日々の話をよく聞いた。「私は先生たちから沢山の愛を貰ったから、大丈夫」と彼女は言っていたが、それでも気丈に振舞っていたのだろう、なにせ俺が慰霊碑に遅れてやってくるときはいつも、彼女の鼻はうっすらと赤くなっていたのだから。その背中は小さく、壊れもののようで、そんな時は自分も何かに飲み込まれてしまいそうなほどだった。
けれど針の刻みと同じように、世界は確かにその歯車を前に進めていたのだった。

「上忍昇格おめでと」
「ありがと、でも全然実感なくって」
「ま、そんなもんでしょ」
「そんなもんなのかな」

その日もまた俺たちはいつものように慰霊碑の前にいた。
隣に座る新米上忍がはがゆそうな顔を浮かべる。中忍試験ではアカデミーのような基礎的なペーパー試験の他に、毎年お馴染みのサバイバル演習が行われるが、上忍昇格試験は中忍試験とは少し内容が異なる。その内容は毎回変わるが、今回は与えられた試験をこなすのではなく、半年間に及びその忍生活を試験官が追うというものだった。暗部での生活が長かった彼女の適性を判断するためには、表での任務の経験の少ないからという理由だったらしい。
表の任務に不慣れな彼女にとって試験はかなり大変なようだった。個人で行う任務にはなんの問題なかったものの、チームでの任務を言い与えられたとき、とりわけ任務に適性の下忍や中忍を連れていけと言われたときがそれだった。潜入や諜報ばかり行ってきた彼女は単独で動くのは得意だが、班行動はそうではない。それぞれが暗部のように戦闘力や判断力に秀でている訳ではないのだから、かなりのリーダー力が問われているといっても過言ではない。つまり、出来合いの班を纏められるかはその班を率いるトップにかかっており、それがいかに大変にせよ、上忍クラスにはその手腕が求められるということだ。とはいえ難しく考えることはない。そこで適性が認められれば合格だし、不十分ならばそれまで、なのだから。適性がなかったからといって弱い忍だというわけではないし、忍の世界には優秀な一匹狼タイプも数多く存在する。ただやはり、日々舞い込む依頼を効率よくこなす上で、オールラウンダーな存在が必要なのは言を俟たないだろう。そして半年の適性審査を終え、通過したものには今度は現在上忍である忍との対戦が用意されている。この順番からも分かるとおり、上忍に必要なのは戦闘力以上に任務遂行までをきっちりと行える統率力なのだ。この時、対戦相手は基本的に自分の弱点部分に長けている上忍が宛がわれる。
そうして見事合格を勝ち取った彼女は三代目の命により二年ぶりに再び暗部へと舞い戻ってきた。どうやら大名護衛専門の部隊にいるようで、そこを軸としながら様々な任務に就いているらしい。反対に俺はといえば三代目に暗部の任を解かれ、来期から担当上忍をするよう命じられていた。

「正直、どうしたらいいか迷ってる」
「やってみたらいいと思う、カカシならきっと良い先生になれるよ」
「簡単に言いすぎじゃない?」
「そんなことない、なれるって思ったから言ったの」

は笑っていたが、俺は心の底からどうしたものかと悩んでいた。もう三代目の元では俺の心の闇は救えないとはっきり言わてしまった。何がどうなると救えた状態と言えるのだろう。それが分かるぐらいならとっくに暗部を去っているだろうが、三代目の言うとおり、暗部にいようが表にいようが何も状態は変わらないように思える。変わらないように思える、なんてぼやけたことを思ってしまうあたり、自分も年を取ったと感じた。あの頃ならきっとこんな気持ちさえ許しはしなかっただろうから。
しかしだからといって次に用意されていてた任務は、あまりにも今までの自分とかけ離れていた。アカデミーを卒業したてほやほやな子供の世話だなんて。迷路から抜け出せないひよっこが、「先生」として未来を担う子供たちに何かを教えてやるだなんて。力不足にも程がある。子供は意外と大人のことをよく観察しているし、そんな子供たちの視線を受け止めて、熱い言葉を投げかけ個性を伸ばすなんてガイのような人間に自分がなれるはずもない。

「きっと、大丈夫。だってカカシ、私の話ちゃんと聞いてくれるもの」
「なにそれ」
「最初は上手くいかないかもしれない、でも、カカシが大事にしたいって思ってるもの、ちゃんと伝わるはずだから」

自分より四つも年下だというのに、彼女の言葉には不思議な力があった。ついさっきまであんな風に思ってたのに、彼女になにか言われたら心が動いてしまいそうになるのだ。昔からそうだった。彼女の言葉は一つ一つ心にするりと染み渡っていくのだから不思議だ。変な奴。でもどこかでそれを期待している自分もいるから厄介だ。
俺が大事にしたいと思っているものはなんだろう。色々あるが、色濃く浮かび上がるのは一つしかない。父が守ろうとしていたもの、先生が教えようとしてくれたもの、リンが繋ごうとしてくれたもの、オビトが言ってくれたもの。

「チームワーク、かな」

は何も言わずに優しく目を細めた。
意固地だった俺に、オビトが歩み寄ってくれたように。それをリンが、見守ってくれたように。そして先生が、その重要性に気がつくと信じてくれたように。そうだ。自分はもう、大切なものを沢山もらっていたじゃないか。もしこのまま三代目の命を受けるとするならば、仲間を大切にする心を育んでいきたい。戦争を知らない今の世代とはきっと温度差があるのだろう。仲間の尊さをどういう風に捉えているかは分からないし、どれだけそれが大切かを知っているかはわからない。けれどきっと、少しでもそのかけらを持つ子供たちが現れたならば、俺は―・・・。

「っくしゅ」
「・・・寒い?」
「ちょっとだけ」

それもそのはず、今はもう十一月も終わりかけで、日中はまだ少し暖かいとはいえ、日が沈んでしまえば身体を突き抜ける風はより鋭さを増すのだった。とっくに長袖を纏う人々に比べ、ときたら暗部装束のままだ。ちょっとだけ、なんて彼女は言うが、この寒さでこの薄着は堪えることだろう。変なところでどこか抜けているのだから、頬が僅かに緩んでしまう。

「マフラーいるか?」

俺は答えも待たずに自分の身に着けていたマフラーをするすると抜き取ると、隣に三角座りをする彼女の首元にかけようとした。それまで胡坐で座り込んでいたためか、はたまた装着している手甲が当たらぬようにと気を使ったためか、どちらだったのかは分からない。だが、どうしたことだろう珍しく距離感覚を誤ってしまった。腕を回したときに、触れたのだ。唇が。彼女の米神に。口布越しに。
ふわりと混ざる二人の息。近すぎて焦点を失う自らの視界。夜空の星が線のように動くのが見え、地面の砂地の砂の一粒が急に大きくなったかのような錯覚。

「・・・ッ」
「・・・!」

それが事故だと分かっていても。
お互いはっとしたのは事実だった。
笑ってごめんごめんと流していたら、俺達の関係は何も変わらなかっただろうか。
今までと同じように、一人の仲間として。そう、こうして日常を語り合う、仲間として。
けれど月明かりに照らされた、明らかに動揺を孕んだ彼女の瞳が、俺の瞳とぶつかってしまった。離れられない。吸い込まれていく。逃れられない。見開いたその瞳から。ここで止めなければ、きっともう、戻れなくなる。分かっている、分かっているのに、離れられない。

「カカ、シ」

頼むから、そんなに切なそうな顔をしないでくれ。頼むから、そんなに震えた声を出さないでくれ。自分の身体が、言うことを聞かなくなる。するりと彼女に伸びた手が、耳元からこぼれた髪に伸びるのを止められない。この外の気温で冷えた髪の毛を優しく掬い上げ、再び耳にかけてやれば、赤くなった肌が露になって視覚までもがくらくらする。
ああそうか、俺は―…。

「・・・っ」

彼女の息が詰まる音がした。
布越しのキス。一枚隔てた鈍い感触が、時間の経過とともにその体温を伝えてきて。
柔らかく、ふっくらとした、の唇。もう後には引けぬことを、夜の星々が見ていた。

「・・・悪、い」

は伏し目がちに、ふるふると首を左右に振った。

「・・・嫌じゃ、なかった?」

すると今度は、ためらいながら一度だけ縦に小さくおろされる頭。

「あー、もう、お前」

巻きつけたマフラーの端を引っ張って、ぐいとその身体をこちらに寄せて。
口布をおろして再度吸い付けば、晩秋の寒さなどもはやどこかへ消え去ってしまったかのように温かかった。






(初めてカカシの素顔見た・・・!)
(・・・そこなの?)
















(2014.11.9)
(2016.3.7修正)               CLOSE