「ねえ、今日ミナトいないし、二人でこってり濃厚ラーメン食べちゃわない?」
「だめ。今日はもう塩分過多だもの!」
「うっ、ちょっとミナトに似てきたってばね・・・」

買い物の帰りに通った一楽から香るラーメンの香りは勿論の腹の虫をも誘惑した。彼女とて一楽のラーメンは好きだ。けれど今日は朝と昼とに味噌汁を飲んでしまった。一日分の塩分はしっかり取ってしまっているどころかオーバーだ。味噌汁を侮ってはならない。そんなところにラーメンだなんて。ましてや昨日もミコトさんから貰ったからと、烏賊の塩辛を存分に味わったというのに。目を細めて眉に皺を寄せ不満を示すクシナの服の袖を、は強く引っ張り「家はこっちですよ」と歩き出す。その話を後日ミナトにすれば、どっちが大人でどっちが子供か解かったものじゃないと笑われていた。

には生まれてくるこの子のお姉さんになってほしいわ」
「君のお守りをちゃんとしてくれてるんだから、もう立派なお姉さんだよ」
「まあ!うるさいってばね!」

しかしクシナの妊娠を喜んでいられる時間は、にはあまりなかった。長期任務に出ていた彼女の指導係が、四代目に応援要請をしてきたために、動かざるを得なかったからだ。
としても本音を言えばクシナの傍を離れたくはなかった。これからもっと助けが必要になるだろうし、少しでも力になることを願っていた。とはいえ自分も一介の忍であり、命を受けたならばそれに従わねばならない身分である。何がなんでも早く終わらせて戻ってこよう、そう決めて彼女は後ろ髪を引かれながらも後日里を後にしたのだった。






















執務室で受けた報告にミナトは顔を顰めた。ここのところ教え子であるカカシの良い話を聞いたことがない。今しがた入った話もそれと同様のものだった。四代目火影に就任してからというもの、担当上忍として動くことが無くなったために、カカシと時間を共にすることが、以前と比べればぐんと減ってしまった。オビトとリンを失うという辛さは長い時間切磋琢磨しあってきたミナトにとっても大きな傷となっていたが、成長過程にあるカカシの方がよりダメージを受けているのを彼は痛いほど解かっていた。特にオビトは自分では中々救ってやることのできなかったカカシの心に、一つの薬を与えたのだから、それは尚更だ。できるだけ傍で見守ってやりたいという思いから、ミナトはカカシを自身直轄の暗部に置く決意をしたものの、その采配が正しかったのかどうか、今となっては反対のことをしてしまったのではないかと気を病んでばかりだった。
彼の負う傷をただ拡げてしまったのではないか、とその思いは日を追うごとに増していく。だからこそ何か一つのきっかけになれば良いと、しばしばと組ませることにしたのだ。きっとカカシの中で彼女はリンの姿と重なっていたことだろうから。カカシには想定外の状況における判断能力アップを図るためだと伝えたが、真意はそこではなくを守ることで少しでもリンを救ったと思って欲しいところにあった。自分が殺してしまったのだと、その思いにカカシは囚われ抜け出せないでいる。そんなことリンはこれっぽっちも思っていないのに、だ。とはいえその気持ちに踏ん切りがつかぬ限りは出口を見つけることはできないだろう。もっと近くにいてやることができたなら。それもこれも、あのような事態を招いてしまった自身に全ての責任がある―…。
年の近いと接することで少しでも殻を壊せる何かが生まれれば良いという考えは、少しは上手くいったように思えた。なにしろ二人がよく慰霊碑の前で話をしているのをミナトは知っていたし、もう少し様子を見て良い傾向が続くなら三代目直属の暗部であるを引き継ぐという形で自身が受け持ち、ろ班に異動させようかとも考えていた。

けれど長期任務に出ている暗部から入った応援要請には、どうしてもの力が必要だった。国境警備隊から入った連絡によれば、誰かが国境付近で何かを行っているという。そこで偵察力に秀でたの指導係を向かわせた。すると驚いたことに、木の葉の忍と岩の忍が集まって、夜な夜な死体集めをしていると報告が入るではないか。戦争終結からまだ間もない。緊迫状態は続いており、各国との均衡を計るためにも下手に手出しはできなかった。
ミナトは彼に密会への潜入捜査を命じたが、あちらも新入りには重要なことを教えたりはしないのだろう、死体集めから先は一向に何をしているのか教えてくれなかったのだそうだ。
だからこそ彼らを出し抜くための長い月日が必要だった。定期的に連絡は取り合っていたが、三ヶ月程時間を要しただろうか、最近になってようやく内実が見えてくるようになったのである。
死体集めと聞いた時点で最初から人体実験ではないか、という予想はついていたが、やはりそうだった。彼らは戦争ばかりの世を嘆き、新たなる世界を創るのだという思想の下集まった両国の忍たちだった。どうやら多少なりとも名を馳せる面々が集まっているらしく、かつて自身が手合わせをした相手もそこにいるというのだから驚きだった。死体から情報を得ること、そしてその細胞を使って自らの力を増幅させる実験を繰り返し行っているだなんて、とてもじゃないが放ってはおけない。互いの国の監視下から外れた独自の組織というのが幸いだったろう、クーデターを起こす前に抹殺しなければならなかった。どちらが組織設立の声かけをしたかは分からないが、大事になればまた戦争の引き金になりかねない。秘密裏にその組織を壊滅させることが第一条件だ。場所や規模を考えても向かわせられるのは一人か二人が限度であり、数的不利を前に手練の忍に立ち向かうには、適任はしかいなかった。土遁に秀でた彼らとはいえ、彼女の水はそれを覆すほどの力を有している。身を挺して任務に当たる忍も彼女の指導係で、彼女特有のあの情報が下手に広がることもない。カカシのことを考えればと引き離すのは悩ましいところだったが、優先すべきは私情ではない。その判断を誤るほどミナトは鈍ってはいなかった。

案の定、が任務に出てからのカカシの荒れっぷりは凄まじいほどで、枷が外れてしまったかのように千鳥を乱発しているようだった。おかげで彼は「冷血のカカシ」とまで呼ばれるほどになっていた。しかしその裏には今まで以上に、自身の闇にもがき続ける教え子がそこにいる。彼が苦しめば苦しむほどミナトの心もまた、鉛のような何かで埋め尽くされていくのだった。このままでは自分もカカシもどうにかなりかねない、とミナトが三代目に助言を求めれば、心の傷は誰にも癒すことはできず、時間が忘れさせてくれるだけだと彼は言った。どっしりと構えた猿飛ヒルゼンの心の器の大きさは自分とは比べられないと悟りながら、彼の放った言葉が単なる慰めではないことを知る。そう、三代目から提案された事柄が、ミナトの心に一筋の光を生み出したのだった。

「カカシ、君には特別任務についてもらう」
「何か問題でも?」

面を外したカカシは複雑な表情だった。自分は何かやらかしてしまったのか、それとも火影の右腕としての頼みなのか、はたまた別の何かがあるのか、そんな風だ。

「そういうことじゃないよ、ただこれは極秘扱いなんだけど、・・・実はクシナに子供ができたんだ」

ミナトは柔らかい笑みを浮かべる。
まるで予想外だったことにカカシは驚かずにはいられなかった。

「おめでとうございます」
「ありがとう。ただ人柱力の女性が妊娠すると、封印に使っているエネルギーがお腹の子供へ移行するため尾獣の封印が弱まる傾向にある。そこで出産までの間、君にクシナの護衛を頼みたいんだ」
「・・・護衛、ですか」

相変わらず先生は読めないことを言う、とカカシは思った。
それは自分でなくてはならない任務なのだろうか。もっと他に適任がいるのではないか。そう、例えば、あいつ、だ。彼女ならきっと喜んで引き受けるに違いないし、生活をともにしているのだから自分より勝手も分かっているだろうに。

では、駄目なんでしょうか」
「気になる?のこと」
「そんなわけ、では」
は今里外の任務でね。さっきも言ったけど極秘扱いだ、カカシに頼みたいんだよ」

そういえば最近見かけないと思えば。あいつ、里外の任務だったのか。着々と成長しているんだな。ぼんやりとカカシは彼女の姿を頭に思い浮かべた。里の誉れが拾った戦争孤児が、自分とタッグを組むなど思ってもいなかった。彼女は不思議だった。あんなにも怯えた目をしていたくせに、いつの間にか知らない目をしていた。その瞳で彼女はいつも、自分の闇の部分を見透かしている気がしてならなかった。あの瞳が、心に刺さる。あの真っ直ぐな眼差しが、手放してはいけない身体の奥底に沈んだ言葉と気持ちを喉元まで押し上げさせる。これ以上、彼女に、彼女の世界の周りに触れてしまったなら。きっと何かを壊してしまう。きっと何かを捨ててしまう。きっと何かを裏切ってしまう。
カカシにはやはりこの任務に適任なのは自分ではないと思えて仕方なかった。当たり前だ。誰かの護衛にまわるより、先陣を切って戦っているほうが性に合っている。表沙汰にはできないような任務を請け負うのが暗部だ。そんな世界に身を置くものが、命の生誕を目にしろと?火影の命令が絶対なるものとはいえ、ある種の拷問のような気さえしてしまうのだった。



*



雪が積もる冬の日も、桜の芽吹く春の日も、うだるような夏の日も。
黒いマントに身を包み、カカシは一歩離れたところから常にクシナの傍にいた。日に日に大きくなる彼女の腹部は、確かに一つの新たな命が花開いていることを示している。カカシの目にそれは稀有に映った。思い返せば誰かが妊娠するなんてこと、自分を取り巻く生活とはまるで縁が無かったからだ。両親を思い出しても、想起されるのは父の自害のシーンだけ。父も母も優しかったが、それ以上に辛い思いの方が多かった。カカシにとって、師であるミナトとその妻クシナの円満な光景は、まるで異次元の世界を見ているかのように映っていた。幾多の戦場を乗り越えた彼らにも、ああいう緊張感も危機感も及ばぬただただ花が咲くだけの領域があるのか、と。クシナの腹をさするミナトの手は優しい。瞳は慈しみに溢れていて、その時だけは彼は火影でも忍でもない、ただの父親だった。

(・・・あいつ、帰ってこないな)

小動物のようなあの少女の姿を、かれこれ一年近く目にしていなかった。胸の奥を、何者かに掴まれている気分だ。

(無事なのか?)

生きているのか、死んでいるのかも分からない。しかしミナトのことだ、万が一の事態には事の全てをカカシに伝えるだろう。だから連絡が来ないということは、きっとどこかで生きているということだ。

(きっと、楽しそうに話すんだろうな)

彼女がもし護衛役だったなら、日に日に変化していく彼らの姿を嬉々として自分に話しただろうに。その姿を脳裏に描けばカカシの口角が僅かに上がる。いつだったかクシナは言っていた。にはお腹の子のお姉さんになってほしいと。ミナトもの帰りを心から待ち望んでいた。笑顔の絶えない家になる。誰もが彼らの姿を見て幸せを分けてもらえるような。そんな未来がすぐそこにある。

(早く帰って来いよ)

何せ出産日はもう間近だ。早くしないと、産まれる瞬間を目にできなくなってしまう。カカシの眉間に皺が寄る。

(・・・)

それからまもなく、カカシは任を解かれた。出産行事を三代目直轄の暗部が護衛担当する代わりに、彼はしばしの休暇を貰ったのだった。



*



久方ぶりにリンの墓を訪れれば、そこは雑草だらけでお世辞にも綺麗とは言えなかった。一日たりとも忘れたことはなかった。だが、任務の性質上どうしようもないことだった。掃除をしながら、カカシは来られなかった日々についてつらつらと語った。戦争を知らない世代がこれからどんどんと生まれてくる。その子供たちはきっと平和な世の中を、何も知らず、そう普通の顔をして生きていくのだ。戦争はもはや歴史の一部となり、語り継がれるものだけになっていく。経験した者としてない者との格差がどんどんと広がっていく未来がそこにある。何故自分は真っ只中を生きてきてしまったのか。何故もう少し遅く生まれてこれなかったのか。そうすれば大事な親友たちを失うことはなかった。捻くれた性格のままだったかもしれない。それでも親友を失うことよりはましだ。誰が望んでこの手で大切な命を奪いたいというのだろうか。彼女の皮膚を、肉を、心臓を抉ったあの感触は一生消えない。一生自分を苦しめる。違う、苦しめられたいのだ。忘れて生きていけるような無粋な奴に成り下がりたくないだけだ。
その状態でいることこそがカカシには自分を救う唯一の道のように思えるというのに、その中で彷徨えば彷徨うほど、の姿がカカシの脳裏に浮かび上がる。彼女が心の穴を埋めはじめているのか、それとも穴を広げはじめているのか、その答えもでないままに。だからカカシは頭を振ってを消そうと試みた。

「あいつ、『でも』の続きを言わなかった」

いつかの晩の、いつかの会話。続きを言うことを諦めてしまった彼女。一体何を言おうとしていたのか。

「・・・オビトにも、報告してやらなくちゃ」

その日の夜、あんなことが起ころうとは、一体誰が予想しただろう。















(2014.11.9)
(2016.3.7修正)               CLOSE