なんだろう。このふわふわとする感覚は。知らないようで知っている。ああそうか、脳が覚醒しているのか。瞼を閉じていても朝日が差し込んでいるのが分かる。ついさっき寝たと思ったのに、もう朝なのか。どうして寝ている間は時間の進みが早く感じられるのだろう。もっとゆっくり、もっとしっかり眠りに落ちていたいのに。あれ。でもどうしてカーテンが開いているんだ。昨日の夜閉めて寝た筈ではなかったか。うん、でもそんなのどうでも良いか。光が眩しくて、まだとても起きられそうにないし、それに何より今日は久々の休みだ。二度寝の幸せを噛み締めようじゃないか。
もぞり、と寝返りを打つと、腕をとんとんと叩かれた。ああそうだ、昨日は終電をなくしたを家に泊めたんだっけ。電車がないと涙目になって警備企画課に乗り込んできたあの顔。思い出しても面白い。となるとカーテンを開けたのは彼女か、とその手を捕まえようと寝ぼけ眼で腕を伸ばすと、するりと避けられてしまった。
「起きてください降谷さん」とおそろしいほど優しい声が降り注ぐ。彼女に起こされるなんて、良い朝だなあ。でも本当は、降谷じゃなくて零って呼んでほしいのに。そんな我侭を心の中にしまっていたら、「朝ごはんは和食派ですか、洋食派ですか」と聞かれた。あのなあ、休日の朝にわざわざそんなに頑張らなくて良いんだよ。だから、「あとで美味しいサンドイッチを作ってやるから」とかすれた声で言うと、はまるで「困ったさんね」と言いたげな顔で俺を見てきた。そういう顔も好きだなあ、と再び襲い来る睡魔と格闘すること五秒。我ながらとても長く戦ったと思う。
どうせまたすぐに夢の世界に入ってしまうのなら、このたおやかな波を揺蕩う間ぐらい、彼女の全てを腕に閉じ込めてしまいたい。白くすべらかな腕に手を伸ばすと、「ひゃ」と可愛らしい声が上がった。じたばたと悪足掻きをする仔犬を宥めるように、少しだけ強い力でぎゅっと抱き締める。弾力を返す艶やかな肌、滑らかな曲線、男にはない柔らかさ。気持ち良い。最高の抱き心地。なんて最高な休日の朝なんだ。

「っふ、るや、さん!」
「んー」
「んー、じゃなくて!起きてください!」
「んー起きてるよ」
「起きてません寝ぼけてますからあ!」

何をそんなに恥ずかしがることがある、と思った次の瞬間には、ぎゅう、と頬を力の限り抓られていて、言葉にできないあまりの痛さに目を見開けば、そこにはスーツ姿のが顔も耳も赤くして俺を睨んでいるではないか。なんで休日なのにスーツ?と辺りを見回すと、そこは無機質な灰色の壁に囲まれたいつもの職場で、朝日だと思っていたのは眩しい眩しい白熱灯の光だった。

「・・・」
「・・・おはようございます」

応接用とは名ばかりの(この課に接待をするような外来者が来ることは滅多にないからだ)ソファで仮眠を取っていたことをすっかり忘れていた。それほどまでに良い夢を見ていた。両掌をまじまじと見つめれば、実際に抱き込んでしまった彼女の肉感がしっかりと残っている。そりゃあ気持ちも良いはずだと感触を思い出すように指をそろりと動かすと、「指を動かさないでください」と冷ややかな声が胸を突き刺した。

「なんで、ここに・・・?」
「廊下で風見さんと出くわして、仮眠を取ってる三徹目の降谷さんを起こす係を代わりました」
「あいつはどこに行った」
「駐車場です」

しょぼしょぼとした瞼を擦って欠伸を一つする。駐車場だなんて、何か急用でもできたのだろうか。あいつも忙しい奴だと思ったところで、だいぶ目が覚めてきた気がした。ちがう、そんなことを考えている場合じゃない。俺は彼女になんてことをしてしまったんだ。今は彼女への謝罪が最優先だろなぜ風見のことなんか考えている、ともぞもぞと重たい身体を動かしソファの上に正座をして頭を下げる。

「・・・すまなかった」
「寝ぼけてたので未遂にしておきます」

「顔を上げてください」と言われて、罰の悪そうな顔で彼女を見やったらば、まだほんのりと耳が赤くて、ああそんな顔も良いなあなんて思ってしまった。もっともっと、色んな顔の君を見てみたい。ちなみにだな、俺は朝は和食でも洋食でもどっちでも良いけど、時々はのために作りたい派でもあるんだよ、と本気で口に出しそうになったところでいかんいかんと頬を叩く。思いの外三徹目のダメージが今回は酷いようだ。否が応でも自分の年齢を再確認せずにはいられない。あと半年もすれば二十代最後の年がやってくる。そら徹夜も年々きつくなるはずだ。

「・・・お詫びに何か夕飯でもご馳走しよう」

まだ頭は少しぼうっとするけれど、と美味しい食事でもすればエネルギーは充填される。それでまた戻ってきて仕事をしよう。彼女との楽しい時間の後に憎らしい赤井を追いかけるのは癪だけれど、大事な情報源と接触を試みるためだ。準備は万端にしておきたい。
がしがしと頭を掻いて、腕まくりしていたシャツの袖を元に戻しながら、正座から胡坐に体勢を変えると、「何言ってるんですか。また今度にしましょう」と断られてしまった。その言葉がにわかには信じられなくて、まじろぎもせずに彼女の顔を食い入るように注視する。いつも飯とあればすぐに釣れるのに、一体どうして。

「なんで」
「ちゃっちゃと帰ってしっかり寝てください。徹夜はお肌に良くないです。ただでさえ童顔なんですから」
「意味が分からん。君も童顔だろいつもへらへら笑って全然警察官に見えないぞ」
「はいはい風見さんが車で待ってますから、しっかり送ってもらうんですよ」
「君を置いて帰れって言うのか」
「もーそれ以上我侭言うなら廊下に捨てていきますよ!警備員のおじさんに介抱されて見送られるのと、私にされるのどっちが良いんですか?」
「・・・が良い」
「それじゃあちゃんと帰る準備しましょうね」

まるで聞き分けのない子供をたしなめるような声音だ。そうか、子供は俺か。彼女にぐいと腕を引っ張られて立ち上がると、「さすがの降谷さんも三徹目になると頭ふにゃふにゃになっちゃうんですね」と言われてしまった。
時々彼女は歯に衣着せぬ物言いをするよなあなんて思っていたら、ソファの背もたれに掛けておいた上着を手にした彼女が、反論は許さんとばかりに、「はい、着てください」と両手を広げたので、導かれるままに腕を通す。このやりとりがさながら出勤前(いや実際には帰宅前だということは忘れてくれ)の旦那の身だしなみをチェックする妻のようで、これはこれで良いものだ、としみじみと感じてしまった。
相当格好悪い姿を晒しているという自覚がなかったのだから、やはり睡眠は大事だと後日再確認したのだった。












(2017.6.25)      CLOSE