「好きな食べ物」
「秋刀魚の塩焼き。茄子の味噌汁。嫌いな食べ物」
です。カカシさんは?」
「甘いもの。あと天ぷら。お前は?」


















質問する。答えが返ってくる。質問される。答える。そんなことを延々と繰り返していた。一体どこが終わりかも分からないぐらいに。
慰霊碑の前に背中が二つ。大人と比べればうんと小さな二つの背中の片方は、もっと小さかった。そのくせ彼らの纏っている衣は、子供という風貌からは似合わぬ闇の世界のもの。
風は吹いていなかったが、二の腕の肌の露出は寒そうに見えた。だがそんなこと気にもしていないように、彼らの話はどんどん進んでいく。紺青の夜空の元で、地面に無造作に置かれた彼らの面の白が浮き立っていた。面を外すことは暗部では禁じられていたが、もともと素顔を知り合う二人だ。もはや関係ないのだろう。

「好きなもの」

曖昧な質問をしてしまった、とふとカカシは思った。案の定隣で三角座りをしているは眉根を寄せて悩んでいる。

「ミナト先生かなあ」

その笑顔にあまりにも力が入っていないものだから、カカシは「先生はものじゃない」と言いそびれてしまった。本当に彼女は忍に見えない。ミナトやクシナのことを語るときは特に、だ。
花が咲いたような笑顔。少年の頬の筋肉すら緩ませてしまうような笑顔。忍に感情は余計だと頭に刷り込んできた少年にとって、彼女はその琴線に簡単に触れてくる存在だった。気が狂う、なんてことを思いながらカカシは少女に気が付かれないようにため息をもらした。にも関わらず心のどこかで思ってしまう。微笑ましい奴だ、と。それが良い意味なのか、悪い意味なのか、もちろん分からぬままに。

「ミナト先生のどこが好きなわけ」
「全部」
「・・・聞いた俺がばかだった」

これまで質問してきた中で最も早い返事だった。思わず少年があぐねる。そんな彼の顔を前には「ごめんなさい」と慌てて返した。謝ってもらいたかったわけではないカカシはどう応えたら良いのか分からず、口を噤んでしまった。さてどう続けたものだろう、という彼の悩みを他所に、しばしの沈黙のあとに少女が言った。「先生は私の世界なんです」と。「世界?」と聞き返したらば、彼女はこくりと頷いた。
心なしか瞳が輝いている気がしなくもない。それだけ彼女にとって波風ミナトという存在は大きかった。「私に全てをくれた人なんです」と彼女は続ける。行くあてのない自分を救ってくれた人。保護だとか、監視だとか、そんなことがどうでもなくなるぐらいに、彼は全身全霊で自分を愛してくれる。大切に思ってくれる。間違えたら本気で怒ってくれる。生きることの意味なんてまだ幼い彼女には理解できないことだった。なにせ物心ついた時からその人生は始まっていたのだから。だから思うのだ。自分の進む指針を与えてくれたのがミナトだと。

「カカシさんも、ミナト先生のこと好きですか?」

表情を窺うようにが顔を覗かせた。円らな瞳。小さな顔。傾げた頭から揺れる髪。カカシは最近よく思うのだった。なんだか彼女は仔犬みたいだ、と。鬱陶しいときもあるけれど、それこそ彼女の瞳が苦手なときもあるけれど。
放っておけないというのもあるかもしれない。四代目直々に教えてもらった彼女の秘密も、そう、暗部の一人を除いて他には誰も知らない彼女の秘密もまたそうさせるのだ。

「慕ってる。先生は凄い人だって」

へへへ、とまた先ほどと同じように顔をくしゃりとさせ、まるで自分のことみたいに喜ぶ姿。ミナトのこととなると少女は本当に表情豊かだった。

(・・・なんか、憎めないんだよな)

ぽりぽりと、少年は頭を掻く。またしばしの沈黙が訪れた。この沈黙もいやじゃない、とカカシは思う。胡坐をかくのをやめ、両手を後ろについて、空を見上げた。いつもと変わらない景色。いつもと変わらない夜空の色。変わっていくのは人間だけ。昔を思い出しては、抉られていく心と体。

(オビト、リン)

この前任務に行く時、お婆さんとすれ違ったんだ―…。
朧月をぼんやりと眺めながら、カカシは先日起きたことを心の中で思い返した。あれは朝と昼の間だった。集合場所へ向かう時、近道をしようと大通りではなく路地を通ったのだ。そこを乳母車を押す一人の老婆が、自分の対向をこちらに向かって歩いていた。
乳母車にはもちろん赤ん坊が乗っていて、その子はすやすや夢の中だった。けれどカカシの目を引いたのは、その乳母車の天蓋部分からぶら下がる沢山の飾りの中に、不織布でできた赤が特徴の団扇の小物があったことだった。そのことを老婆に問えば、彼女は穏やかな表情で、「髪の毛がツンツンしたね、うちは一族の子から貰ったんだよ」と教えてくれた。カカシは確信した。この小物を贈った主がオビトであることを。
数え切れないほどの言い訳を重ねて、遅刻をごまかそうとしていたオビトだったが、何回かに一回はそれが本当であることをカカシは知っていたし、班行動時以外で彼が様々な人―とりわけ老人―たちに手を貸している姿を見たことだってある。老婆の乳母車を押す動きに合わせて揺れるそれは、カカシの心にひどく大きな穴を開けた。温かいのに切ない。嬉しいのに悲しい。オビトの愛がこの世界にはまだ残っている。それはとても美しいことなのに、押し寄せるのは馬鹿だったあの頃の自分への失望。

(どうして、人は失ってからじゃないと気付けないんだろう)

奇跡が起きて一瞬でも会って話すことが叶ったとしても、きっと自分には上手い言葉なんて出てこないけれど、と、ひねくれ具合に自分でも嫌気がさす。
でもそれでもいい、もう一度、彼らに会うことができたなら。後悔ばかり。戒めばかり。増え続けるため息の数々。

(・・・だめだ)

出口を見つけることは自分には許されることじゃないのだから、と目を伏せようとした時だった。今まで膝を折って座っていた彼女の姿が無くなったのは。

「え?」

正確に言えば、無くなったのではなく地面に無気力に倒れていた。平たいが故にカカシの視界には入らなかったのだ。

「・・・寝てる」

耳を近づければ鼓膜に響く静かな寝息。もうすっかり夜も遅い。睡魔に勝てなかったのだろう。無邪気な寝顔を無防備に晒している。
色んなことが分かるようになった、と言ったあの時の彼女はとても年端もいかぬ子供の顔ではなかったのに、今の彼女ときたら明日の朝ごはんが楽しみだとでも言っているかのような寝顔だ。
誰にも聞かれぬ笑みが零れた。それを知るのは彼らを見守る朧月だけ。
カカシはすっくと立ち上がり、起きる気配の無い少女の腕を片方ずつ掴んだ。自分よりも小さくて細い肢体のなんと簡単に折れそうなこと。一気に背中におぶるもやはり目を醒ましそうにはなかった。

「変なやつだよ、お前」



*



深夜過ぎだというのに、ミナトの家の明かりがまだ点いていた。
家で仕事でもしているのかもしれない。なにせ今朝執務室を訪れた時には、机の上におびただしいほどの巻物と書類が堆く積まれていたのだから。
チャイムを鳴らそうとカカシは彼女を抱え直す。片手でも支えられる位置に安定させ、いざボタンへと手を伸ばしたとき静かにドアが開いたのだった。ミナトのことだ、外の気配を察知したのだろう。

「おかえ、あれ?カカシ」
「お疲れさまです」

ドアを開けるや否やミナトは思わぬ客人に驚いたが、背後に覗く項垂れた頭に事の全てを理解したらしい。いつもの朗らかな笑みでくすくすと彼は笑う。

「悪いね。人前でこんなにぐっすり眠るなんて、カカシに心を許してるんだね」

そう言いながら彼は教え子の頭を撫で、もう片方の手をの腰に回して持ち上げた。
頭に手が乗せられたことでカカシの視界が半分ほど隠れる。その下の表情はどこか気恥ずかしそうだ。だがすぐに元の顔に戻った。「ありがとう」と言って少女を横抱きにした師の顔が、それはそれは慈しみに溢れていたから、だ。

(あ・・・)

あの目の細め方を、あの口角の上がり方を、あの眩しさを。そのどれもを少年は知っていた。

(・・・父さん)

ふと重なる、父の姿。精神を患う前の、朗らかに微笑む父の姿。今となっては二度と自分には向けられないあの愛しい姿。
刹那、彼の瞳を一筋の翳りが襲う。駄目だ。ここにいてはならない。早く家に帰らねば。しかしその時だった。口を開こうとした瞬間と、ミナトの言葉が重なってしまったのは。

「カカシも泊まっていきなさい」
「あ、でも、俺は」

「帰ります」と言わせないかのようにミナトは再びを片手に抱きなおして、空いた腕をカカシの背中に回す。その腕と師の顔を交互に行き来する狼狽した少年の双眸。

「先生寂しいな、カカシがいないと」
「・・・なに言ってるんですか」

恥ずかしいからやめてください、と頬を染めた教え子が顔を背ける姿が師からは微笑ましく見えていた。いっそのことこのままこの家に住めばいいのに、なんて伝えたらきっともっと困惑するのだろう。
一人前の忍として日々奔走しつつも、大きな傷を心に抱えようとも、まだまだ子供らしさの残る愛弟子が愛おしい。本当はもっと彼にも時間を割きたい。だから同居はことのほか良い提案だと思うのだけれど。

「先生、俺やっぱり」
「だーめ。帰さないよ」
「でも」
「今日は四人で川の字になって寝ようね」
「四人じゃ川になりません」
「気にしない気にしない」

カカシの脳裏に刻まれたのは、目をぎゅっと瞑って白い綺麗な歯を見せて笑う、子供みたいな師の笑顔だった。

















(2017.2.15)           CLOSE