夜も更け、ちらほらと辺りから光が消えていくのが見て取れた。 闇夜の住宅街のとあるアパートにいるのは、仄かな橙の明かりに灯される一人の男と一人の女。 ようやく手に入れた、好きで好きで好きでたまらない人。どれだけ「好き」の言葉を重ねても足りないし、「愛してる」もまたそうだ。それほどの強い想いが真っ直ぐ熱い視線となって、男の―うずまきナルトの―腕の中で後ろ向きにおとなしくしている女―に注がれている。 「なあねーちゃん」 「ん?」 襲い来る睡魔と闘っているのだろう、ナルトの方へと体勢を変えたの顔からは、重たげな瞼をどうにかこうにか動かしているのが伝わってくる。その姿すら健気でとても愛おしく見えてしまうのだから、恋とはなんと素晴らしいのだろう。もちろんに疲労を齎したのは他の誰でもない、ナルト自身であるが。 「ねーちゃんが暗部に居たときの面ってなに?」 「え?えー・・・んー・・・」 眠気のために頭が働かないのか、それともはぐらかしたい理由でもあるのか、はたまた忘れてしまっているのか。 しばしの沈黙の後にが口を開くまで、ナルトは瞬きすることなく彼女を見つめていた。その様子はさながら飼い主の一声を待つ犬のようで、返事への期待からか、好奇心が彼の双眸を普段よりも大きくさせているのが分かる。 「守秘義務ってことで」 「えーなんだよそれ、もったいぶるとこじゃねーってばよ」 眉間に皺が寄ったのも束の間、ナルトの視線はあっという間にの頬に残る赤みや、湿り気を帯びた睫毛や唇、額に張り付く前髪へと彷徨い出す。どうやら先ほどの色香を集めているらしい。頬同様に赤く色づいた耳にかぷりと甘噛みしてみれば、彼女から「ん」と小さな声が漏れる。 もっと聞きたい。その心地良い声を。もっともっと自分だけのものにしてしまいたい。心臓まで突き抜ける彼女の声を。自分だけが知っている夜の顔を。 その気持ちに独占欲という名前が付いていることに青年が気付いたのは、最近のことだった。なにせ彼は小難しい名称や恋の駆け引きといったところのものと全く無縁の、本能や感性が心を揺さぶるがままに動く、野生的な男だったのだから。 「っていうか、私は毎回面変えてたのよね」 「へ?そーなの?」 「だって暗部に居る女って少ないから、身を隠す意味がなくなっちゃうじゃない?」 わかるような、わからないような。けれどもやっぱりわからない、とナルトは顔を顰めた。というのも暗部に属するような忍が、面一つ変わっただけで別人と判断してしまうような、そんな間抜けな話があるだろうか。 日々鍛錬を積む忍だ、体型が崩れることは殆どないし、声だって仕草だって匂いだって、中々変わるものでもない。 「でもねーちゃんってすぐわかるじゃんか」 「そーね、身内にはバレバレだったわね、までもさ、敵にはちょっとは有効だったんじゃない?」 「そんなもん?」 「多分?」 敵の忍にとって外見は非常に大きな判断材料となる、と言われればまあ意味のあるような、ないような。 けれどやはり変な話だとナルトは思った。現に、ナルトを育て上げた暗部出身のはたけカカシのその名は他里に大いに知られている。面を変えたところで分かってしまうものは分かってしまうのだ。勿論カカシがその左目故に、特異な存在であることの方が大きいからかもしれないが(いやもしかしたら面からはみ出る銀髪が原因とも言えなくはないかもしれない、とナルトは心の中で乾いた笑いを浮かべた)。 それにサイもそうだ。彼の不健康そうな肌の色と言ったら、他の誰より群を抜いている。しかも彼と来たらば腹を露出したあの特有のスタイル。誰が見たってサイだ。なのに彼はあの姿で裏の仕事を数え切れないほどこなしてきたではないか。 代理の隊長だったヤマトとていざ木遁を使えば身元を明かしているようなものであるし、いくら陰の部分を受け持つ暗部が優秀な忍から構成されていると言えど、実際のところ、とりわけ秀でた者たちはプライベートこそ知られはしないものの、表面的なことはある程度調べ上げられていたに違いない。となると面の本当の意味とは何だろう。けれどこれ以上考えたら眉間の皺が取れないばかりでなく、宇宙の神秘にまで辿り着いてしまいそうで、ナルトは考えることを諦め別の方向へと向かった。 「でもねーちゃんが俺の前に現れるのって、いつも犬の面だったよな!」 ナルトの虚を付いたような発言にの眼が大きく開かれ、そのまま固まった。恐らくその間数秒。動揺の色を含んだ彼女の瞳のみが微かに揺れていた。 「覚えてるの?」 「当たり前だってばよ!」 「あー」、「えー」、「うー」と言葉にならない母音とともに、照れくさそうにの視線が泳いだ。それが可愛くて可愛くて仕方ないといった風に、ナルトの心を躍らせる。 そんな愛おしい人をぎゅっと抱きしめれば、彼女の規則的な心音がナルトの身体に響きひどく心地よかった。 この心音を追い求めていたのだ。安心と、癒しと、幸せを与えてくれる、この音を。 「ずっと、忘れられねーんだ」 「うそ。忘れてたくせに」 「う、ちょこーっとだけだってばよ、ねーちゃんのこと思い出してからずっとってこと」 「ほんとかなあ」 「ほんとほんと!」 「ふふ、はいはい」 ナルトはのふんわりとした髪に顔を埋め、スン、と鼻を動かした。シャンプーの優しい香りがした。この香りを嗅ぐことができるのは、彼女が休みの時だけだ。 「良い匂い」 「ナルトも使ったら同じ匂いになるよ」 任務が入る前日は、彼女はナルトと同じく支給される無臭のシャンプーを使っていた。いつ何時呼ばれるか分からないのだから、常に無臭のシャンプーを使えば良いものの、とナルトは思ったが、そこには女性としての何かが訴えているのかもしれない。自分があれこれと口を挟むものでもないだろう。 「それだけじゃねーんだ」 「?」 ナルトの言葉の本意にとって重要なのは、の香りの方だった。彼にとってシャンプーはただの付加価値でしかなく、彼女自身の匂いが好きなのだ。風呂上りであろうと、汗をかいていようと、野宿して泥臭くなっていようと、そこに必ずある彼女の匂い。 それは自身に聞いてみても解からないと言う。けれどもナルトには判別できると言う。きっと当然の話なのかもしれない。自分の匂いは限りなく自分では理解できないのだから。 (俺はどんな匂いすんのかな) 聞いてみたい欲求に駆られる。「解かるよ」なんて照れくさく返してくれたら良いが、「解からないよそんなの」なんてはっきり言われたらどうしよう、などと、どことなく幸せな愚問に妄想を膨らましてはを抱きしめる力をさらに強め、このまま一つになってしまいたいとナルトは思った。 ずっとずっと、自分だけの人でいて欲しい。 どこにも行かないで欲しい。 上忍だから高ランクの任務ばかりなのが仕方が無いことと理解はしていたものの、かといって快くも思えるはずがなかった。なにせ彼女はどこかしらに傷を作って帰ってくるのだから。大きいか小さいか、とい程度の問題ではない。怪我を負って帰ってくるということ自体に憤りを感じてしまうのだ。 守りたいと思っているのに、傍にいることが叶わないなんて。 勿論、そんな言い分が通じる程忍の世界は甘くない。彼女は木の葉の忍であるが、それ以前に一人の女である、なんてそんな身勝手は許されることではないのだ。 祈ることしかできないもどかしさを、素直に受け入れられるようになるには、ナルトはまだまだ若いのだった。 (2014.3.26) (2017.5.10修正) CLOSE |